西洋建築の旅 新古典様式編

古代ギリシャ・ローマから19世紀末のアール・ヌーヴォーまで西洋建築史を辿ります。

ベルリンのブランデンブルク門
ベルリンのブランデンブルク門
ビリニュス大聖堂
ビリニュス大聖堂
大英博物館(ロンドン)
大英博物館(ロンドン)

新古典様式

 建築には、その時代の思想が具象化される。教会権力や絶対王政が装飾過多なバロック、ロココ建築を生んだ後、革命により共和制が広がった理性主義の時代には、元祖・共和制とも言うべきギリシャ・ローマの建築を手本とする、荘厳で均整のとれた新古典主義建築がヨーロッパを席捲した。
 
 ヨーロッパ中がフランス革命の行方を注視していた1788年~91年、ベルリンに、とある門が建てられた。当時プロイセン王国の首都だったベルリンは他の多くの都市同様市壁に囲まれており、壁の中のベルリン市街地から西にあるブランデンブルクの街に向かう門であるため「ブランデンブルク門」と名付けられた。
 
 ヨーロッパ古典建築の代表、アテネのアクロポリスの門を手本に、片面6本、計12本のドーリア式の柱が長押型のエンタブラチュア(梁)を支える。上部には四頭立ての馬車像と、勝利を司る女神ヴィクトリアが平和の象徴オリーブの輪を掲げて戴かれている。皮肉なことに1806年、〝平和の裡の勝利〟を象徴したブランデンブルク門から入城したナポレオンによりベルリンの街は征服され、馬車像はパリに持ち去られた。ナポレオン失脚後、馬車像は1814年にベルリンに戻され、ヴィクトリアの掲げるオリーブの輪には鉄十字の紋章とプロイセンの鷲が加えられた。
 
 1871年のドイツ統一後、ベルリンは首都となり、ブランデンブルク門はその顔となった。ナチス時代には、ヒトラーがドイツ軍の行進をここで見守っている。第二次大戦が終わり冷戦時代、ベルリンは東西に分割。門の際にベルリンの壁が建てられ、門は東ベルリンに属した。市民の西側への流出を警戒した政府は、壁はおろか門に近づくことも禁じたという。
 
 冷戦末期の1987年、西ベルリンの帝国議会議事堂前でイギリスのロックミュージシャン、デビッド・ボウイがスピーカーの4分の1を東側に向けてコンサートを行った。東ベルリン市民はブランデンブルク門方面に殺到し、流れてくる西側の音楽を楽しんだ。壁が崩壊したのはその2年後だ。
 
 20世紀を振り返るテレビ番組等で必ずと言っていいほど流れるベルリンの壁にツルハシを振り下ろす映像。その背景にはブランデンブルク門が映っている。理性礼賛の時代に生まれた門は、その後戦争と分断の時代と向かい合い、それを乗り越えた人々を見守ってきた。
リンカーンメモリアル(ワシントンDC)
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パンテオン(パリ)
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