生誕130周年レオナール・フジタ=藤田嗣治の生涯と作品を巡る旅

乳白色の美で名高い藤田嗣治(ふじたつぐはる)=レオナール・フジタ の人生と作品を訪ねに出かけましょう

ランス郊外、フジタ礼拝堂(ノートルダム・ド・ラ・ペ/平和の聖母)礼拝堂
フジタ礼拝堂(ランス郊外)
レオナール・フジタ(C)WIKIMEDIA COMMONS
1917年のフジタ
ヴィリエ・ル・バクルのフジタのアトリエ
アトリエ(ヴィリエ・ル・バクル)

1886年11月27日、東京府牛込(当時)に生まれた藤田嗣治。

黒田清輝が主任を勤める東京美術学校を卒業するも、評価されず、

27歳の夏、単身パリへと渡りました。

2つの大戦、フランスと故国日本。

乳白色の裸婦像でパリを沸かせ、太平洋戦争に従軍して戦果図を描いた彼は、

戦後フランス人になり、キリスト教徒の洗礼を受け、

レオナール・フジタとして世を去りました。

 

数度に渡って暮らしたパリのモンパルナス地区や、終焉の地ランス等、

フジタ縁の地を巡り、その作品を愛でる旅にご案内いたします。

 

【生誕130周年記念】レオナール・フジタの道~南仏からパリ・ランスへ~ 9日間

フジタの足跡をたどるフランスの旅

パリ、モンパルナス

第一次大戦前夜から2つの大戦の間の時代。
パリには、パブロ・ピカソら多くの新進気鋭の芸術家たちが集い、その腕を磨いていました。
東京の美術学校を卒業したフジタも27歳の時にパリへ渡り、ギリシャ神話で芸術の神々が住まうという山「パルナッソス山」の名を持ったモンパルナス地区に居を構えました。
 
当時の建物の多くは、戦争や開発で失われてしまいましたが、カフェやホテル、小さな通りににその名残が見られます。
パリ、モンパルナス地区
パリ、モンパルナス地区(イメージ)

老ルノワールとの邂逅、南仏カーニュ・シュル・メール

第一次世界大戦でパリにもいよいよ戦禍が迫ると、フジタは友人のモディリアーニらと南仏のカーニュ・シュル・メールへ疎開しました。
南仏のモンマルトルと呼ばれた、陽光あふれるその町には、最晩年のルノワールがアトリエを構えていました。
リウマチに侵された不自由な体でも筆を握り続けるルノワールの姿は、フジタの心に深く刻まれ、フジタ自身の画家としての生き方に強く影響を与えたと言われています。
フジタも訪ねたルノワールのアトリエは、現在もカーニュ・シュル・メールに残っており、見学することができます。
 
カーニュ・シュルメール、ルノワールのアトリエ
ルノワールのアトリエ

ランス、「レオナール」誕生の町

第二次大戦後、君代夫人とともにパリへ渡ったフジタ。
55年にフランスに帰化し、59年の10月、ランスの大聖堂でカトリック教徒としての洗礼を受けました。
洗礼に際し、自らにつけた信徒名はレオナール。
かのレオナルド・ダ・ヴィンチと同じ名前でした。
 
聖母を祀るランスのノートルダム大聖堂は、ステンドグラスや天使の彫刻が美しく、ユネスコの世界遺産にも指定されています。
ランス大聖堂の天使像
ランス大聖堂の天使像

レオナール・フジタの集大成、フジタ礼拝堂

最晩年、フジタが自身の全てをかけて建たのが、ランス郊外に佇む小さな礼拝堂です。
油彩画と違い、一気に書き上げなければならないフレスコ画に挑み、1966年8月に完成させました。
 
その一年半後にこの世を去ったフジタは、2003年にこの礼拝堂内に改葬され、今も君代夫人ともに眠っています
 
通常、礼拝堂は夏の間のみ内部見学ができますが、ユーラシア旅行社のツアーでは、10月や11月に訪れるツアーでも
特別に内部の見学にご案内いたします。
ランス、フジタ礼拝堂
フジタ礼拝堂(ランス郊外)

フジタの作品を収蔵する美術館へ

フジタの作品の多くは、パリと東京にあります。
生誕130周年の2016年は特別展などもあり、
より多くの作品に出会う機会となることでしょう。
 
ユーラシア旅行社でいくフジタ縁の地や、作品を巡るツアー
 
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