今、未来につなぐ戦争の記憶

過去の事実を学ぶだけではなく、未来につなげていきたいと考えています。

“幻の松代大本営地下壕”象山地下壕©信州・長野県観光協会
“幻の松代大本営地下壕”象山地下壕©信州・長野県観光協会

戦後70年が経過しました。過去の日本、そして日本人が、何を考え、どう行動し、どんな結果がもたらされたかを知ることは、ただ過去の事実を学ぶだけではなく、私たちの未来を考える時のなんらかのヒントを与えてくれるように思います。私たちは、そんな未来を考えるきっかけを、永く皆様に提供していきたいと考えています。

決して忘れてはならないHIROSHIMAの記憶を巡る

8月23日発「HIROSHIMA 3日間

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。投下された原爆による死没者名簿には29万人もの名前が記されています。時の流れとともに、薄れゆく記憶を現代まで紡いできた、被爆者による貴重なお話をお伺いする機会を設けました。

特攻の記憶を紡ぐ旅

(終了)「知覧と大隅半島をめぐる 3日間」


太平洋戦争時、大隅半島と薩摩半島には本土決戦に備えて、多くの軍事施設が作られました。米軍が慶良間諸島に上陸した1945年3月26日より始まった特攻作戦で出撃した多くの特攻隊員の半数は、ここ知覧基地から出撃し、帰らぬ人となりました。戦跡ガイドとともに2つの半島に残された戦争と特攻の記憶を巡ります。

松代に大本営を移転しようとした事実を知る

(終了)「信州 幻の松代大本営地下壕と無言館、富岡製糸場 2日間」

 

太平洋戦争末期、軍部が本土決戦に備えて、極秘のうちに、皇居、大本営、政府各省等を長野・松代に移すという計画が進められました。昭和19年11月に着工された工事は、全行程の75%が完成したところで終戦を迎えたといわれています。象山地下壕は全長6kmのうち約500mが公開されており、ガイドの案内とともに内部を見学します。

“幻の松代大本営地下壕”象山地下壕©信州・長野県観光協会
“幻の松代大本営地下壕”象山地下壕©信州・長野県観光協会

“本土防衛最後の砦”小笠原の戦跡を訪ねて

硫黄島3島クルーズで見られる北硫黄島(提供:小笠原村観光局)
硫黄島3島クルーズで見られる北硫黄島(提供:小笠原村観光局)

(終了)「硫黄島3島クルーズと小笠原戦跡巡り 6日間」

 

かつて日本軍の拠点が築かれ、戦争の遺跡“戦跡”が数多く残る小笠原・父島。第二次世界大戦中、地上での激戦が行われた硫黄島だけではなく、父島や母島もまたアメリカ軍との戦争の舞台となりました。“本土防衛の最後の砦”として位置づけれた世界遺産・小笠原の別の側面を感じて下さい。

沖縄~最初に上陸した中部から、終焉の地・摩文仁の丘~

(終了)「沖縄地上戦の事実にふれる旅 3日間」

日本の敗戦が濃厚となった昭和19年3月に沖縄の守備を担う陸軍第32軍は編成されました。司令部は沖縄決戦に備え、首里城の地下にコンクリートで固めた、総延長1kmを越える大規模な地下壕を建設しました。最盛期には約10万人の将兵を以て組織された第32軍でしたが、米軍の猛攻により首里にあった司令部も昭和20年5月27日に南風原に異動、そして5月30日、多くの住民が住む南部の摩文仁の壕へと後退します。その結果、多くの住民が戦闘に巻き込まれ、6月23日、日本軍の組織的な戦いは終わったとされています。

喜屋武岬から摩文仁の丘一帯©OCVB
喜屋武岬から摩文仁の丘一帯©OCVB

世界記憶遺産と“命のビザ”杉浦千畝を辿る

(終了)「世界記憶遺産“舞鶴引揚記念館”と杉浦千畝・敦賀ムゼウム見学 3日間」

戦後、昭和20年10月に最初の引揚者を迎え入れ、その後、昭和22年には、旧ソ連からの引揚がピークを迎えます。しかし、シベリアで抑留されている人々の帰国がままならないまま、ソ連からの引揚は中断してしまいました。その後、引揚事業が再開された後は、舞鶴港だけが国内唯一の引揚港として、昭和33年まで引揚者を迎え入れました。

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