株式会社ユーラシア旅行社

フラッシュ・ムービー「古代地中海世界」
第一編「古代ギリシア文明の栄光」

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ミノア文明

古代ギリシアの文明は、エーゲ海最南端に位置するクレタ島から始まった。島のほぼ中央に位置するクノッソスを中心に花開いたミノア文明は、女性的で優美な文化を誇った。ミノタウロスの迷宮伝説を生んだ大迷宮の如きクノッソス宮殿を始め、各地の史跡からその豊かな芸術性を物語る壁画が発見されている。また、地中海を隔てたエジプトやフェニキア人達との交流があった事も発見されている。また、ほぼ同時期の文明とされるサントリーニ島のアクロティリ出土の壁画もアテネの考古学博物館で見られる。エーゲ海を中心に栄華を誇ったミノア文明だが、前15世紀頃に滅亡する。滅亡の理由は諸説あるが、ギリシア本土から侵攻してきたミケーネ人達に滅ぼされたという説が有力。

今日島の中心であるイラクリオンの町の郊外に、アーサー・エヴァンスが発掘したクノッソス宮殿の遺跡がある。3,500年以上の時を経て保存状態は決して良くはないが、迷宮伝説を生んだ宮殿の複雑な構造、ラビリンス(迷宮)の語源となった斧やミノア人達が崇拝した牛の像が見られる。また、宮殿内にはミノア文明の芸術性の高さを物語る壁画が復元されているのも注目。もし時間があれば、イラクリオンの考古学博物館にも立ち寄りたい。宮殿
内の壁画のオリジナルが展示されている。

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クノッソス宮殿
クノッソス宮殿
トロイア戦争[1]

古代ギリシアの数多い神話の中でも我々に最も身近なのはトロイア戦争では ないだろうか。アキレスやヘクトルを始め、古代の神々も多く参戦し、ホメ ロスが戦いの前半を描いた「イーリアス」や戦後を描いた「オデュッセイア」は不朽の名作として知られる。

物語は、女のプライドを賭けた戦いから始まる。右の絵画は、ルーベンスが描いた「パリスの審判」という絵画だ。左側に描かれている黄金のりんごを持っている帽子の若者がトロイの王子パ
リス、右側に描かれている三人の裸体の女性がアテナ、アフロディテとヘラの三美神。パリスが持つりんごは、ゼウスから「最も美しい女神に与えよ」と手渡されていた災いのりんごであった。三美神はそれぞれに自分を選んだ際の見返りをパリスに約束。その中でパリスが選んだのは美の女神でもあるアフロディテ。アフロディテの約束は、「最も美しい女を与える」であった。
最も美しい女に指名されたのは、スパルタのヘレネ。その美貌は古代ギリシアでも評判であり、当時のスパルタ王メネラオスの妃であった女性だ。洋の東西は違うが、正に中国故事の傾城傾国という言葉が当てはまるだろう。パリスはこの王妃をトロイに連れ去った。

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ジャック・ルイ・ダヴィッド「ヘレネとパリス」(パリ/ルーヴル美術館)
ジャック・ルイ・ダヴィッド

「ヘレネとパリス」

(パリ/ルーヴル美術館)
ルーベンス「パリスの審判」(マドリッド/プラド美術館)
ルーベンス「パリスの審判」

(マドリッド/プラド美術館)

トロイア戦争[2]

妻をさらわれたメネラオスは、兄アガメムノンが治めるミケーネへ駆け込み、トロイ出征を促す。かねてからトロイを狙っていたアガメムノンは二つ返事でこれに応じ、各地のポリス(都市国家)に声を掛け、ギリシア連合軍を編成して、1,000隻の船でトロイに向かったと言われる。その中には勇将アキレスや知将オデュッセウスらの姿もあった。トロイも小アジア(現在のトルコ)の諸侯に声を掛け、王プリアモスの子ヘクトルを大将に据えて、難攻不落と言われたトロイの城壁を背に迎え撃つ。
戦争は一進一退の様相を呈するが、アキレスがヘクトルを討つと、ギリシア連合軍優勢に転じる。終盤にアキレスがパリスにアキレス腱を射られて戦死したものの、オデュッセウスの有名なトロイの木馬により、ギリシア軍が難攻不落の城壁内に侵入する事に成功し、トロイは陥落する。

戦後もオデュッセウスの帰国までの冒険を描いた「オデュッセイア」、またアガメムノンの帰国後のアトレウス家の悲劇、トロイ王族の生き残りアイネイアスが落人としてイタリア半島に渡り、その子孫が古代ローマの始祖になったという伝説など、物語に欠く事はない。

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ティエポロ「トロイの木馬」(ロンドン/ナショナル・ギャラリー)
ティエポロ「トロイの木馬」
(ロンドン/
ナショナル・ギャラリー)

オデュッセウスとセイレーン(チュニス/バルドー博物館)
オデュッセウスとセイレーン
(チュニス/バルドー博物館)
現在のトロイ
長らくこの話は神話上の物語として考えられていたが、19世紀にハインリッヒ・シュリーマンがトロイの遺跡を発見するに至って、一定の真実の上に築かれた神話である事が分かった。
現代のトロイの遺跡は、異なる時代に形成された9層の遺跡が発見されている。また、当然ながら現代の産物ではあるが、木馬の模型も置かれている。トロイア戦争が勃発した前12〜11世紀は、第7層の辺り。この層から発掘された出土品から、当時それなりの規模や勢力を誇っていた都市であった事が分かっている。そして、火事の跡も残っている事からホメロスが詠ったイリアス(トロイ)であったとする考古学者も少なくない。
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トロイの遺跡
ミケーネ文明
ミノア文明の終焉を告げる頃、紀元前17世紀頃にギリシア本土で興隆したのがミケーネ文明である。ホメロスが謳い上げた一大叙事詩トロイア戦争に登場する、ギリシア連合軍の総大将のアガメムノンが治めたのがミケーネであり、19世紀のシュリーマンの発掘によって実在の都市であったと証明された。
ミケーネ文明は、前15世紀頃にはエーゲ海の彼方のミノア文明を滅ぼすとともに、その技術と文化を引き継ぎ、発展させた。特に線文字Aを改良し、ギリシア語を記した線文字Bの発明は後のギリシア文明の発展の礎となった。また、女性的とも言える優美な文化を誇ったミノア文明に対して、鉄の文明を謳われたミケーネは男性的で重厚な文化が特徴。鉄と血によってギリシアのペロポネソス半島を中心に勢力を広げた。しかしながら、前12世紀頃、ミケーネ文明も忽然と歴史から姿を消す。滅亡の原因はミケーネを治めていたアトレウス家の内紛とも自然環境の変化とも異民族の侵入とも言われている。
今なお発掘途中のミケーネの遺跡では、アガメムノンが暗殺されたという浴室を残す宮殿跡等が見られるほか、博物館には線文字が刻まれた粘土板や、印章を始めとした副葬品の数々が納められている。また、アテネの考古学博物館には、シュリーマンが発見した通称「アガメムノンのマスク」を始めとするミケーネ出土の輝かしい発掘品が数多く並びます。
神話上でも歴史上でも血塗られたミケーネだが、現在の遺跡は、穏やかな果樹園とオリーブ畑の平和な景色に縁取られている。
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ミケーネ黄金のマスク(アテネ/考古学博物館)

ミケーネの黄金のマスク

(アテネ/考古学博物館)
ミケーネ/獅子の門
ミケーネ/獅子の門

ポリス(都市国家)の時代
ミノア、ミケーネ文明の後、ギリシアは後に「暗黒時代」と言われる文明として大きな発展のない時代を迎える。その暗黒時代に終止符を打ったのが、アテネ、スパルタを中心とする各地のポリス(都市国家)。前8世紀頃から徐々に力を付けた各地のポリスは、地中海各地に植民活動を行いながら、徐々に頭角を現した。文芸保護の気風も強かったこの時代は、正に古代ギリシアの全盛期であり、現在我々が古代ギリシアと認識する物の多くが、前8世紀から前4世紀の時代に属する。
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アテネ・リカヴィトスの丘より
アテネ・リカヴィトスの丘より
アテネ

アテネ(古名:アテナイ)は女神アテナの名前が冠せられたギリシアの古代都市だ。海に近いことから、古代より地中海交易を通じて都市国家としての力を蓄積していった。ペルシア戦争では、ギリシア都市国家連合の雄として、特に海軍が勝利に大きく貢献し、戦後結成されたデロス同盟の盟主となって、古代ギリシアの中心都市国家として学芸と文化の都として大いに栄えた。その後のペリクリスの時代に入ると、民主制(デモクラシア)が花開き、古代アテネの黄金期を迎える。市民は絶頂を謳歌し、アリストテレスやピタゴラスを始め、多くの哲学者や数学者を生み出した学識高い都市国家としても名を馳せました。世界的にも有名なアテネのアクロポリスもこの時期に大幅な改築が行われた。壮麗なパルテノン神殿、エレクテオンや周囲の古代劇場など、今日見られるアテネの象徴は、この二千年以上前の時代に築かれた。しかし、こうした工事費がかさんだ影響もあり、ライバルであったスパルタにやがて破れ、国力は衰退の一途を辿り、紀元前4世紀にはマケドニア王国に屈服して政治的な独立を失った。
その後、ローマの時代に入ると大学のある学問都市として一時再興するが、古代ローマ帝国が滅んで東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに知識や頭脳が流出した結果、近代ギリシアの独立までの長い間歴史から忘れ去られていました。

今日のアテネは、ギリシアのみならずヨーロッパを代表する観光都市として賑わう。アクロポリスは往時の姿で今でも町を見下ろし、現代と古代が共存する旧市街は、見所が尽きない。また、遺跡の宝庫ギリシアの各地の重要な出土品を集めた国立考古学博物館は必ず訪れたい。

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パルテノン神殿
スパルタ

スパルタは唯一アテネと並ぶ都市国家だったといえるだろう。しかしその形態はアテネとは大きく異なる。アテネが商業国に対して、スパルタは農業中心国、他にも人口、教育、生活様式・・・ほぼ全てが正反対と言っても過言ではない。何より有名なのは「スパルタ教育」ではないだろうか。生まれて間もなく戦士としての才能の有無を判断され、すぐに捨てられる子もいたほど。七歳にして親元を離れ集団生活となり、戦士としての訓練の日々が始まったといわれる。

文化や芸術、学問の面ではアテネや他諸国家に劣るものの、徹底した軍事教育により、ギリシア最強の重装部隊を誇る都市国家であったことは言うまでもない。

いわゆる「スパルタ教育」により、強国に成り上がったスパルタは幾多の伝説を残している。特に有名なテルモピレーの戦いは映画の題材としても使われ、昨年の映画「300」では、世界中で大ヒットとなった。僅か300人の戦士で20万とも100万ともいわれるペルシアの大軍と好戦するスパルタ人の雄姿は現代の人々にも多くを与える。スパルタを訪れ当時の英雄レオニダス像を見ると、不思議と侍魂と共通する何かを感じてしまう。

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レオニダス王
オリンピア
ギリシア南部ペロポネソス半島にある古代オリンピック誕生の地、オリンピア。古代ギリシア時代、最高神ゼウスに捧げられたこの聖域には、神殿の建つ聖域を囲むように、競技場のスタディオン、練習場や更衣室、体育館のギムナシオン、宿泊施設のレオニダイオンなど、数々の建造物が建ち並んでいた。遺跡の中心に建つゼウス神殿はドーリス式神殿の代表作で、紀元前456年に完成。高さ20mを誇っており、内部には古代七不思議の一つに謳われた黄金と象牙で装飾された13mもの高さのゼウス像が置かれていた。
最初のオリンピック競技会が行われたのは、紀元前776年のことといわれている。以来4年ごとの開催は営々と続けられた。この競技の最中、「聖なる休戦(非戦条約)」が結ばれており、遠くの植民地からもこれに参加した。
その後、ローマ時代に入ってかつての盛況を失った古代オリンピックは、キリスト教の時代に入って間もなくに終焉を迎える。しかし、古代オリンピックは実に1200年近くの歴史を刻んだ。その後、地震や川の氾濫などにより、オリンピアは廃墟になる。1875年に発見されるまで土の下に埋まっていたのである。
オリンピック競技会は、その幕を下ろしてから1500年後の1896年、近代オリンピックとして蘇る。アテネで開かれたその第1回大会は、古代のスポーツ精神の復活を高らかに歌い上げるものとして、現在まで続いている。
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ギムナシオン
ミレトス
今日のトルコの西部は、古代ギリシア文明の影響下にあった。特に地中海沿岸には数多くのギリシア人の都市が形成され、現在の南トルコに位置するミレトスもその一つであった。ミレトスは紀元前11世紀にはイオニア人の定住が始まり、紀元前7世紀から5世紀の間に栄え、この一帯の華やかな文化の中心地として栄えることとなる。数学者のタレスやソクラテスの友人でもあった高級娼婦・アスパシア、後の時代にはイスタンブールのアヤソフィア聖堂を建築・設計したイシドルスもこのミレトス出身である。
東方のペルシア帝国ともよい関係を保っていたが、紀元前5世紀初頭に起きたイオニアの反乱の指揮をとったため、反乱はペルシア軍に鎮圧されミレトスの都市を略奪したのである。その後、紀元前334年にはアレキサンダー大王によりミレトスはペルシアの支配から解放されたが、のちにローマ帝国領となり、現在に残る遺跡のほとんどはこの時代のものである。ビザンツ時代を経て最終的にはオスマントルコの支配に置かれ、港として利用されたという歴史を持つ。
ミレトスの一番の見所は古代劇場である。ヘレニズム時代に建設され、2世紀に修築・増築され、1万5千人収容可能の劇場が残る。オーケストラ用のフロアにはレリーフが残り、さらに上方にはアーチ状の劇場の出口があり、ほとんど完全な形で残っている。ビザンツ時代の城壁から眺める遺跡の全景は印象的だ。
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ミレトスの劇場
キュレーネ

古代ギリシア人達は、植民活動も盛んに行った事で知られる。現在の地中海沿岸には、古代ギリシア人の町を起源とする港町も少なくない。その一つが現在のリビアに位置する「キュレーネ」。その名はギリシア神話でアポロンにみそめられた美しくて強いニンフ(精霊)の名にちなんでいる。古代ギリシア時代の植民時代を皮切りに、ヘレニズム、ローマ時代と繁栄を続けたが、ギリシア系住民が多く、ローマ化の度合いは薄いので、リビアでも最もギリシア的な香りのする遺跡だ。前7世紀、エーゲ海のテラ島(サントリーニ島)の市民は聖地デルフィでアポロンの神託を受け、泉あふれるキュレーネの地に辿り着いた。前4世紀に黄金時代を迎え、かの有名な哲学者プラトンもこの地を訪れたといわれている。前331年にはアレクサンドロス大王の支配下におかれ、その後エジプトのプトレマイオス朝に移ると、地中海沿いにカルタゴとアレキサンドリアまで続く道が建設され、キュレーネの町は中継地として交易で非常に栄えることとなる。前75年にはローマの支配下にはいり、その後もギリシア的文化が続く都市として繁栄した。

現在、発掘されている遺跡は30%程ではあるが、同国にある完全にローマ化されたサブラタやレプティス・マグナと異なり、重厚なドーリス式の柱が並び、異彩を放っている。北アフリカ一の大きさを誇るゼウス神殿やアポロンの聖域、運動場の跡など、ギリシア系の都市らしい見所が多い。観光客も少なく、じっくり古代ロマンに浸れる事でしょう。

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キュレーネ遺跡
シラクーサ

盛んな植民活動を行ったギリシア人達は、本土の西に位置するイタリア半島にもその矛先を向けた。南イタリアに位置するナポリ、シチリアのタオルミナやアグリジェントは、ギリシア人の植民都市に起源を持つ。この一帯には数多くの植民都市が築かれ、大いなる繁栄を謳歌したので、「マグナ・グレキア(大ギリシア)」と呼ばれようになった。その中心都市がシチリア島南東部に位置するシラクーサだ。シラクーサはカルタゴとも戦い、シチリアの広範囲に渡って影響を及ぼすようになる。しかし、前3世紀の第二次ポエニ戦争ではハンニバルとカルタゴ側について戦って敗れ、以前の力を失った。
シラクーサの名を歴史に残すのは、マグナ・グレキア時代の栄光と共に、一人の偉人によるところも大きい。即ち、アルキメデスである。有名なアルキメデスの原理や円周率の計算など数学者としての側面だけではなく、アルキメデスはルネサンスの巨匠達のように万能型の天才であった。真偽の程は定かではないが、対ローマ戦では陣頭に立って、巨大な凹面鏡を用いてローマ方の船を焼いたという逸話もある。他にもいくつか特殊な兵器を開発したらしい。しかし、彼の人生もシラクーサの栄光と共に幕を閉じた。シラクーサ陥落の日に、周囲の狂騒もどこ吹く風、数学に興じていたところをローマの兵士に斬られた。
今日のシラクーサは、マグナ・グレキアの時代を偲ぶ事ができる古代劇場が、また古代ローマ時代の神殿が教会に転用された大聖堂も見逃せない。大聖堂内部はローマ時代の柱がそのままに立っており、キリスト教の教会でありながら独特の雰囲気が漂う。

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ギリシア劇場
ギリシア劇場
ペラ
紀元前5世紀、ペロポネソス戦争という内戦によってアテネ、スパルタなどギリシア各地の有力なポリスはかつての力を失っていた。混迷の時代である。その混迷の時代に終止符を打ったのが、古代マケドニアの王フィリッポス二世。ギリシア各地のポリスを打ち破り、ギリシアの統一に成功すると、勢いに乗って古代ギリシア世界の宿敵であったペルシア遠征に着手する。
しかし、フィリッポス二世のペルシア遠征は夢半ばにして散った。劇場で王 は暗殺されたのだ。そしてその意志は、師にアリストテレスを迎え、英才教 育を施されていた息子に継がれる。アレキサンドロス三世、後に大王と呼ば れる20歳の双肩に大事業が担がれる事になった。
当時のマケドニア帝国の首都ペラは、現在のギリシア北部に位置する。当時のモザイクが施された邸宅の跡や有名な大王の獅子狩りのモザイクが付属の博物館で見られる。
また、ペラの南に位置するヴェルギナでは、1977年に古代マケドニア時代の巨大な墳墓が発見された。驚く事に豪奢な埋葬品が発見されたこの墳墓は、アレキサンドロスの父フィリッポス二世の物であった。まるごと博物館に改装されたこの墳墓は、当時の模様を知る上で貴重な資料となっている。
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ペラの遺跡
ペラの遺跡
アレキサンドロス(アレキサンダー大王)の登場
王位継承を巡る争いを制してマケドニアの王に君臨したアレクサンドロス(以下大王)は、いよいよ東征に乗り出す。軍を率いて小アジアを突破し、宿敵ペルシア軍と現トルコのイッソスで対峙する。下のモザイクは、大王の肖像として歴史の教科書にもよく使用されたイッソスの戦いを描いたモザイクだ。左側が大王、右側中央の人物が当時のペルシャの君主ダレイオス三世。マケドニア軍が約4万、ペルシア軍は約10万と推定される戦いは、天才的な戦略家であった大王の戦術と古代最強を誇ったマケドニアの重装歩兵の活躍により、マケドニアの大勝に終わった。伝統的なギリシアの戦争では重んじられなかった騎兵隊の利用も戦勝に大きく貢献した。
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イッソスの戦い(ナポリ考古学博物館所蔵)
イッソスの戦い(ナポリ考古学博物館所蔵)
アレキサンドリア
イッソスでペルシア軍を撃破し、次いでシリアとフェニキアを屈服させた大王は、エジプトからペルシア人を駆逐し、エジプトの解放者として迎え入れられ、ファラオとなる。ルクソールで「ラー神の息子」という神託を受け、紀元前332年に古代世界の経済・文化の中心となる理想都市アレキサンドリアを建設。それは遠征の途中、オリエント各地に自身の名をつけ建設したヘレニズム都市の第1号であり、今日まで残る彼の名が冠せられた都市では最大の都市である。
大王の死後は、部下であったプトレマイオス1世がエジプトを支配。世にも有名なクレオパトラ7世によって終焉を迎えた古代エジプト最後の王朝「プトレマイオス朝」の都として栄華を極め、古代世界の七不思議の一つ、ファロスの大灯台や世界一の規模を誇った図書館を有し、地中海貿易と文化の中心として繁栄した。
東ローマ帝国による支配の後、641年にアラブ人の支配下となったが、イスラム世界の中でその繁栄は影を落とし衰えていった。19世紀の近代化改革を契機に再び国際貿易の拠点として脚光を浴び、現在はカイロに次ぐ第2の都市として発展する国際観光・商業都市である。東湾には、度重なる地震により全壊したファロスの大灯台の石材を再利用し1477年に建設されたカイト・ベイの要塞がある。要塞の上部に残る大灯台の一部は往時の姿を思い起こさせる。
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アレキサンドリアの街並み
アレキサンドリアの街並み
ペルセポリス
エジプトで休息と兵站を補充したアレキサンドロスは、再び東進し、ペルシアと合間見える。しかし、ダレイオスとペルシア軍は連戦連敗。バビロンや首都ペルセポリスで決死の籠城戦という選択も採らず、各々に地方に散っていき、その混乱の中でダレイオスは暗殺された。意気揚々とぺルシア領内を進軍した大王は、 主要都市を手中に収め、都であったペルセポリスに達した。
古代ペルシア帝国・アケメネス朝がその栄華を極めたのは、ダレイオス1世の統治時代であった。紀元前520年、建設が始められたペルシア宗教的な儀式用の都市として造られたと言われている。国をあげての大祭が催され、ペルシアと他の民族との交流が盛んに行われていた痕跡が多く残されている。特に、春の訪れを記念して行われた新年祭には「諸王の王」であるペルシア王を讃えるため、近隣の諸国から朝貢使節団が送られていた。今なお残るレリーフにはメディア人、エラム人、エジプト人等、各地の民族が武器や布、宝石、ロバ、馬といった貢物をたずさえている姿が残る。
しかしこの都が首都として繁栄したのは、わずか200年程だ。紀元前330年、ペルセポリスに達した大王は、町を徹底的に破壊した。宝物は略奪され、建物は焼き落とされ、廃墟と化して以降はニ度と人が住みつくことはなかった。ギリシアから付き添った兵士達には、ペルシア軍の来襲で蹂躙されたギリシア本土の町の恨みがあったのかもしれない。
今日この地には短辺約300メートル、長辺455メートルの長方形の大基盤の上に、壮大な王宮の跡が残る。百柱の間や万国の門などの大建築物が建ち並び、所々に王の威光を印したレリーフが刻まれている。在りし日の富と栄華のほどが日の照りつける廃墟の中から伺える。
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ペルセポリス
ペルセポリス
ニサ
大王亡き後、帝国の崩壊後も大王が東方に伝えたヘレニズム文化は生き続けた。後にガンダーラ美や中国を経て日本にも伝わる事にもなったほど。そのアジアにおけるヘレニズム文化伝播の象徴の一つとして、現トルクメニスタンの首都、アシハバードの南西約15キロにあるニサ遺跡を紹介したい。
二サは、ペルシア帝国の後を受けて、前3世紀から後3世紀まで、約500年にわたって栄えたイラン系遊牧民のパルティア王国の最初の首都だ。中国の文献には、「安息国」として記録が残っている。ニサの遺跡は、内城と一般の人々の居住区とに分かれている。城壁で囲まれた内城には、王宮や、キッチン、宝物庫、ワインやオリーブが保管された壺が埋まっている食料庫等が残っている。また、ここでは「ニサのビーナス」という大理石の像が発見されている。王女が水浴びをしていたところに敵がやってきたので、王女は布で体を包むと、自身の髪を切って戦いに臨み、見事勝利を収めたという伝説があり、その伝説をモチーフにしたと言われている。
そして、象牙でできたリュトンも多数発見されている。オリンポス12神を彫ったものもあり、ギリシアの影響もうかがい知ることができる。ニサのビーナスやリュトン、銀製のグリフォンなどの発掘品は、現在アシハバードの国立博物館で見学することができる。これらのニサの秘宝を見ると、ギリシアからメソポタミア、イラン高原、そして西トルクメニスタンを経るまでに至ったヘレニズム文化とアレキサンドロスの偉業を改めて感じられるでしょう。
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ニサの遺構
ニサの遺構
第二編「謎の民フェニキア人」(6/3公開予定)
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第三編「ローマの誕生〜王制期〜」(6/10公開予定)
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第四編「ローマの台頭〜共和制期〜」(6/17公開予定)
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第五編「ローマの栄華〜帝政期前半〜」(6/24公開予定)
第五編「ローマの栄華〜帝政期前半〜」
第六編「ローマの終焉〜帝政期後半〜」(7/1公開予定)
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