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シベリア鉄道、Транссибирская
магистраль直訳すると「シベリア横断鉄道」。一般的にはウラジオストク〜モスクワを指すが、戸籍上の区間はチェリャビンスク〜ウラジオストクの7416km。ちなみに現在はチェリャビンスクはオムスクから分岐する支線の駅になってしまい、極東・アジア方面からのいわゆるシベリア鉄道の長距離優等列車は停車・通過しない。
広い意味での「シベリア鉄道」はモスクワから極東方面へ行く路線を指し、北京、ウランバートル、平壌、ナホトカ、そして第二シベリア鉄道(バイカル=アムール鉄道)に広がる鉄道路線を指す。
シベリア鉄道は1891年に建設を開始し、フランスからの資金援助を受けながら工事を進めた。建設はアメリカ横断鉄道同様、路線の両端から開始された。1891年5月31日ウラジオストクにて皇太子ニコライ(後のニコライ二世)臨席のもと起工式が行われた。ちなみにこの起工式に行く途中に日本に寄って琵琶湖観光をしていた最中に警官に斬りかかられ負傷したのが「大津事件」。
1898年に路線はモスクワからバイカル湖畔イルクーツク迄伸びた。バイカル湖は船で渡り、チタ手前までの路線が1900年に開通した。一方ウラジオストク側の工事は難航しハバロフスクからはなかなか延びず、ロシア政府は中国東北部を通過する路線を敷くことにした。ウラジオストクからウスリースクで分岐しハルピン、チチハル、満州里を通ってチタへ向う路線、「東清鉄道」を敷設した。
1904年にはバイカル湖を迂回するルートが開通し(それまでは冬は凍った湖の上に線路を通していた)、1916年にハバロフスク経由の路線が完成、1939年に全線複線化となった。
冬が長いロシアでは鉄道は今でも重要な交通手段であり、現に、シベリア鉄道に乗車すると、走っている列車の数に驚く。
様々な近代化にともなって、多くの国で列車から旅情がうしなわれつつあるなか、このシベリア鉄道は長大編成の客車をを力強い機関車が牽引し、シベリアの大地を何日もかけて走る。食堂車ではコックが腕を奮い、車窓を眺めながら食事をする。
かつては飛行機に乗れない若者の貧乏旅行の代名詞だったシベリア鉄道も、そんな「旅」の姿を求めて観光シーズンともなると、世界中から観光客が殺到する鉄道になってしまいました。
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