カテゴリ:アフリカ情報の検索結果

3年ぶりに再開のチュニジアの古代遺跡はやっぱり素晴らしい!!

2018年8月7日 カテゴリ: アフリカ情報世界の文化情報世界の歴史情報中近東・北アフリカ情報

世界遺産古代ローマ遺跡ドゥッガ

世界遺産古代ローマ遺跡ドゥッガ

 

先日「チュニジア・サハラ浪漫紀行10日間」より帰国しました。
3年ぶりに再開したチュニジアツアー。

自らをモザイク国家と称するチュニジア。それは世界最大の古代ローマモザイクコレクションを持つ所以だけではなく、小さな国土に様々な気候・歴史・文化がモザイクにはめ込まれた小さな石のように集まり、チュニジアという国を作り上げているからでもあります。

実際、わずか3時間も走ると周りの景色が緑豊かな田園風景から荒涼とした砂漠へ姿を変えるのです。

7年前のアラブの春の始まりの国チュニジア。政治が良くなったけれども経済が伴わず、なかなか大変という割にはどの町でも優しく暖かく歓迎してもらいました。
そう、チュニジアは複雑な歴史所以か、多様性のある懐深い、世界有数の古くてそして新しい国家なのです。
そのため、語りつくせないくらいたくさんの楽しいことがありました。

というわけで、砂漠方面は次回にして今回は二つのトピックを語りたいと思います。

一つ目は、古代遺跡の素晴らしさです。
チュニジアは3000年前、カルタゴという巨大国家の首都でしたが、古代ローマとの3回に渡るポエニ戦争で滅んでしまいます。
ポエニ戦争はともかく、ハンニバルやスキピオという名を聞いたことがある方もいらしゃるのではないでしょうか。

100年後、ローマのアフリカ属州の首都としてチュニジアは復活を果たします。

この時に起きたのが、オリーブオイルバブルです。
今でも豊かな土壌に等間隔に植えられたオリーブ畑が広がるチュニジア。
古代ローマではもっともっとたくさんのオリーブの木が植えられていたことでしょう。
オリーブオイルは食事にも、美容にも、潤滑油としても使用され、葉は薬に、木材も建築素材として人気でした。
しかも、チュニジア産は質がいい!ということで高値で取引されていたようです。

チュニジアの オリーブ畑

チュニジアの オリーブ畑

 

この結果、オリーブ畑の中にあった街、古代ローマ都市のエル・ジェムは人口の3倍近い3.5万人も観戦できる円形闘技場を造ってしまったのです!現存する古代円形闘技場で唯一地上と地下が残る貴重な遺跡で、1800年も前に地下から剣闘士や猛獣がせり上がり登場するリフトシステムが存在していたのです。
客席部分からアリーナを眺めていると、ふと、砂の間から剣闘士が現れて当時の人々の歓声が聞こえてくるような…そんな錯覚に襲われます。
この堂々とした闘技場は時代を下りイスラームの頃は何と城塞の役割も果たし、今でも街で一番の建造物と言っても過言ではありません。

エル・ジェム円形闘技場

エル・ジェム円形闘技場

 

それ以外にも世界遺産になった山の斜面に作られたドゥッガは市場に住居、そして浴場・公共トイレに売春宿…計算された街並みを歩いているだけで、人々の生活の声が聞こえてきそうになります。

二つ目はモザイクです。
2世紀から3世紀、古代ローマのモザイク文化は頂点を迎えました。写実的な絵画の様な生き生きした魚や動物、美味しそうな食材からローマ神話の一場面が切り取とられた躍動感あふれるものまで、いついつまでも引き込まれてしまう美しいモザイクの数々はチュニジアの様々な古代ローマ遺跡から発見されました。

私の大好きなバルドー博物館は17世紀のオスマン帝国の総督の宮殿という贅沢な空間に本当に溢れるほどの古代ローマモザイクが展示されています。

その中でもお気に入りはいろいろありますが…今回紹介したいのは「ポセイドンの勝利」に出てくる四季の春を擬人化した女性です。
顔の陰影がとても、なんというかアンニュイで素敵なんです。

バルドー博物館 ポセイドンの勝利

バルドー博物館 ポセイドンの勝利

 

春なので明るい雰囲気なのに、あんまり笑顔ではないところが、逆に春の不安さが出ていて素敵だなぁと思うのです。
この表情を自然の石のみで表現しているのです。
いやはや古代ローマの芸術性と職人の技術に脱帽です。

バルドー博物館 ポセイドンの勝利2

バルドー博物館 ポセイドンの勝利2

 

語りつくせない古代ローマの息吹きを国中で感じられるチュニジア。
その魅力に一度でもはまったら…時代をさかのぼったり下ったりしてカルタゴの世界やイスラームの世界へ引き込まれること間違いなしです。

添乗員:齋藤晃子

ユーラシア旅行社で行くチュニジアツアーの魅力はこちら

サムライブルー、カザンで絶好調!

2018年6月28日 カテゴリ: ヨーロッパ世界のお祭り情報世界の歴史情報世界の民族情報中欧・東欧情報

本日23:00より(現地17:00より)ヴォルゴグラードアリーナにてポーランドとの対戦。ヴォルゴグラードという第二次世界大戦最大の激戦地で、日本とポーランドが戦う。親日国ポーランドとの対戦。ポーランド人は自国のみならず、相手国にもエールを送る姿を見ることが出来るに違いない。

カザンアリーナ

カザンアリーナ

日本は絶好調。
6月19日のモルドヴィアアリーナ(モルドヴィア共和国サランスク)での対コロンビア戦では勝利。
6月25日(現地6月24日)のエカテリンブルクアリーナでの対セネガル戦では、引き分け。グリオリズムにのって軽快に戦うセネガル相手に健闘。
絶好調の秘訣は勿論ベースキャンプ地。ヴォルガ河畔に位置する、サムライブルーのベースキャンプ地はタタールスタン共和国の首都カザン。モスクワから約820キロ東に位置し、人口約120万人の大都市である。
あまり知られていないが、ロシアは連邦国家。小さな共和国が21※存在する。対コロンビア戦のサランスクの競技場名が“モルドヴィア・アリーナ”であるのは、モルドヴィア共和国の首都サランスクにあるからである。

カザンアリーナ控室

カザンアリーナ控室

日本代表到着時は肌寒かったカザン。日本代表がキャンプ入りすると一挙に気温上昇。連日30度を超える。日本代表が来て、一挙に“熱く”なった。
カザンはタタールスタン共和国の首都である。タタールスタンとはタタール人の地という意味で、タタールは別名韃靼(だったん)。広義では中国東北部、モンゴル、シベリア、カザフステップの広い範囲に住むモンゴル・トルコ系の人々を指す言葉である。タタール語は日本語と同じアルタイ諸語に属する。

このタタールスタンの地は1223年、成吉思汗の孫、バトゥによってキプチャク汗国の版図となった。その後、キプチャク汗国は分裂し1438年、その領土の一部は成吉思汗の末裔ウルグ・ムハンマドによって、カザン・ハン国となり、カザンは首都となった。
タタールスタン共和国の人口の過半数はタタール人で、タタール語を話す。街の看板もロシア語とタタール語が併記されている。

今年の5月にカザンに招待されて視察に訪れた。清潔な街並み、明るく親切で礼儀正しい人々、日本選手団と世界中からの観客を受け入れる準備の真っただ中だった。お祭り前のどんちゃん騒ぎというよりは、お客様を迎える支度を粛々とこなしている雰囲気であった。

カザンからロシア各地へ出発する日本選手団。カザンの人々は、遠く日本から来た選手団を、遠い兄弟として親近感を抱き、応援しているに違いない。

クルシャーリフモスク

クルシャーリフモスク

三角ピロシキ・エチポチマク

三角ピロシキ・エチポチマク

カザンのイベント

タル・タル★ナイト ~タタールスタンとロシア小さな共和国~(7月26日(木))

 

カザンへのツアー

ロシア小さな6つの共和国 ~タタールスタン共和国、マリ・エル共和国、チュヴァシ共和国、モルドヴィア共和国、バシコルトスタン共和国、ウドムルト共和国~ 10日間

ロシア、小さな6つの共和国とヴォルゴグラード ~タタールスタン共和国、マリ・エル共和国、チュヴァシ共和国、モルドヴィア共和国、バシコルトスタン共和国、ウドムルド共和国~ 15日間

※ロシアの発表では日本国政府未承認のクリミア共和国を含む22。

古代ローマ最初のインフラ事業、アッピア街道、イタリア

2018年4月18日 カテゴリ: ヨーロッパ世界の歴史情報

アッピア街道

アッピア街道

先日、「永遠の都ローマ滞在 2800年の歴史に学ぶ 7日間」のツアーから帰国致しました。
今回のツアーでは、「すべての道はローマに通ず」と言われたアッピア街道の散策にもご案内致しました。アッピア街道は古代ローマ最初のインフラ事業とも言われる街道で、紀元前312年当時の財務官アッピウスによって建設されました。彼の名をとってこの道はアッピア街道と呼ばれることになり、政治、軍事、行政上でも必要な重要な道となりました。
馬が往来できるように道は出来るだけ平坦な石畳が敷かれた舗装道路でした。アッピア街道の一部には未だに当時の石畳が残る道があります。今回ご案内したのは朝の早い時間だったこともあり、あまり人もおらず古代ローマにタイムスリップしたかのようでした。アッピア街道にはマイルを刻む大理石の円柱が建てられています。1ローマ・マイルは約1.5キロ。1.5キロごとに大理石が立ち並び、地面も隙間なくぴったりと石畳で舗装されていたと考えると当時は本当に綺麗な道だったのだろうと想いを馳せながら散策を楽しみました。この道はローマ人たちも重要視していたそうで道の脇には貴族の別荘やお墓が立ち並びます。そして今回は丁度、野花の季節ということもあり、道の脇には小さい黄色い花が沢山咲いていました。今回散策できたのは一部でしたが、このまま歩き続けば憧れの都ローマに到着できるかと思うととても心弾みました。この道をローマ人たちはどのような気持ちで通ったのだろうかと考えるととても感慨深い散策となりました。(竜崎)

ユーラシア旅行社で行くイタリアツアーの一覧はこちら 

春分の日の奇跡、ククルカン降臨(メキシコ)

2018年4月4日 カテゴリ: 世界の歴史情報中南米情報

 

先日、「春分の2つの奇跡を目撃!太陽のメキシコ紀行」より帰国しました。

 

メキシコの古代遺跡をオアハカからユカタン半島まで丁寧に巡るとともに、春分の日と秋分の日にだけ起こると言われている、古代マヤ人の造りあげた高度な天文学による奇跡を見に行きました。

 

今回のツアーでは、ユカタン半島にあるチチェンイッツア遺跡のピラミッドに奇跡が現れました。

 

奇跡が起こるのは、チチェンイッツアの中のカスティージョと呼ばれるトルテカ様式のピラミッドです。高さは24mあり、1面に91段の階段があり、91段×4面で364段あります。そして、1番上の階段を加えると365段になり、太陽暦の1年間を表していると言われています。

 

このカスティージョに、太陽の光があたり、北東側の階段に波打つ蛇の体の陰影をつくり、地上の蛇の頭と繋がります。この蛇は、マヤ語でククルカンと呼ばれ、羽毛の生えた蛇を意味しています。メキシコ中央高原で古くから信仰されている重要な神様です。

 

当日は、お天気に恵まれ真っ青な空の中、ククルカンが現れるのを今か今かと待ちました。少しでも雲が出ると見られなくなってしまうので、期待と不安でその時を向かえました。

 

午後4時過ぎ、真っ直ぐな陰影が段々と美しいククルカンの形に。ククルカンが、体から生えた羽毛で、まさに空から地上へ降臨してきたような姿は迫力満点でした。高度な天文学、数学を操っていた、未だ謎多きマヤ文明。古代へのロマンがかき立てられました。(南雲)

 

ユーラシア旅行社で行くメキシコツアーの魅力はこちら

新世界への近道!?マゼラン海峡(チリ)

2018年2月9日 カテゴリ: 世界の歴史情報中南米情報

マゼラン海峡の砂浜に座礁した羊の運搬船

マゼラン海峡の砂浜に座礁した羊の運搬船

先日、南米のパタゴニアから帰国しました。
パタゴニアとはアルゼンチン・チリ南部地域のことです。
南米大陸を南北に7500キロに渡って貫き、チリとアルゼンチンを 分かつ雄大なアンデス山脈の峰々の下で銀嶺を眺めながら歩き、 巨大氷河の崩落を間近で観察し、手付かずの自然を楽しむ ことができる場所です。今までの添乗員ブログではモレノ氷河や クライマーの聖地フィッツロイ、チリのアンデス山塊パイネなどが度々 紹介されているので、今日はパタゴニアの隠れた見どころの一つ、 マゼラン海峡をご紹介します。

マゼラン海峡は、初めて世界一周を成し遂げたマゼラン提督が 発見した海峡です。コロンブスの新大陸発見後、ポルトガルやスペインなど当時の海運
国の次なる目的は黄金の国ジパングや香辛料諸島に辿り着くこと でした。コロンブスが発見した新大陸(インド)をぐるりと南まわりで 回り込むと大きな湾があり、そこに黄金の国や香辛料諸島があると 思われていました。 マゼランはいくつもの湾や川をしらみつぶしに徹底的に探索しては 失望し、そしてついに発見したのがマゼラン海峡でした。

ところが海峡を抜けた後にあるはずの大きな湾や黄金の国ジパングや 香辛料諸島はなく、その代わりに広がっていたのはとてつもなく広い 太平洋だったのです。
当時のマゼランはそんなことを知る由もなく、太平洋を横断し、 東南アジアのセブ島とマラッカに辿り付いたのでした。

当時のマゼランにとっては海峡を越えた後は全くの未知の世界 でした。食料や水も尽き果てる中、残りどれほどの日数で目的地に 辿り着けるかも定かでないまま、島影一つ見えない大海原に乗り出していったマゼランと航海士達の冒険心や勇気を想うと感心 せずにはいられません。

ツアー中にはこのマゼラン海峡沿いをバスで走り、最も狭くなっている 6キロの幅の海峡をフェリーで渡りました。
知らなければただの海峡ですが、マゼランの壮大な挑戦を思い 浮かべながら、マゼラン海峡を見渡します。
たったの30分足らずの航海でしたが、自分で未知の世界へ冒険した 訳でも無いのに何だか感無量になりました。(上田)

パタゴニアのツアーはこちら

ヨーロッパ文明の礎、燦然たるギリシャの歴史

2017年3月23日 カテゴリ: 世界の歴史情報

Cimg1093

先日「パトラのカーニバルと神々の国ギリシャ周遊9日間」の添乗より帰国致しました。まだ日本が冬の装いの中、今回2月下旬に訪れたギリシャでは日中20度程になり、春のような心地よい風を感じながらの旅となりました。春を告げるカーニバルがギリシャ第三の都市パトラで開かれ賑やかなパレードも見学。パトラ市民による百人単位のグループが数百組出場!それぞれ手作りの衣装に身を包み、街を練り歩きます。地元の人々の明るい笑顔は、こちらまで楽しい気分にさせてくれ、この時期ならではの旅の良いスパイスとなりました。

Cimg1239

今回の旅は、古代ギリシャ遺跡の数々、ギリシャ正教会そしてカーニアバルと盛りだくさんでした。中でも、古代ギリシャの遺跡群には訪れる度に驚かされます。ヨーロッパ文明発祥の地ギリシャ。今から4000年も前に起こったミノア文明を吸収し、ぺロポネソス半島でミケーネ文明が栄えたのが約3500年前。ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」や「イリアス」にも登場するトロイア戦争の時代です。紀元前8世紀頃にはアテネやスパルタをはじめとし、各地にポリス(都市国家)が形成され、繁栄の時を迎えます。各遺跡、訪れた都市の歴史や神話を知るたびに、他のヨーロッパでの繋がり、各地に及ぼした影響を再認識しました。それは、建築様式であったり、絵画の題材であったりと様々な場面で多かれ少なかれ古代ギリシャの中で見ることができます。今更ながら、大感激。次に、どこか他のヨーロッパの国を訪れたら、きっと再びギリシャの事を自然と思い出すでしょう。(帯津)

ユーラシア旅行社で行くギリシャツアーの魅力はこちら

遥かな時を越えて、ポルトガル大航海時代と日本の関わり

2016年11月4日 カテゴリ: 世界の歴史情報西欧・南欧情報

先日、「ポルトガルハイライト9日間」の添乗より帰国致しました。ポルトガルというと、まず思い浮かぶのは、大国スペインの西隣の小さな国というイメージでしょうか。それともオビドスなどのかわいらしい小さな町や、エッグタルトやカステラなどのお菓子、世界的なサッカー選手クリスティアーノ・ロナウドなどなど、思い浮かべるとキリがないですね。そんな中でも、私はやはり、大航海時代にロマンを感じずにはいられません。

Img_4845
日本の4分の一程の国土に、歴史がぎゅっと詰まった国。15世紀、エンリケ航海王子は航海士や専門家を多く招き、航海学を発展させ、周辺の強国よりいち早く大海原へと旅立っていきました。1488年にはディアスがアフリカの喜望峰を回ってインド洋へ、その10年後にはバスコ・ダ・ガマがインド大陸に到達。1500年にはカブラルがブラジルに到達。1510年にはアルブケルケがインドのゴアを占領、更にマラッカも占領・・・西の果ての国から、南へ東へ、ポルトガルの進出の勢いは、莫大な富と栄光をもたらし巨大な修道院建設や教会建築へと結びつきます。首都、リスボンの街には当時の栄華を誇るようにジェロニモス修道院や大西洋へ注ぐテージョ川河口の要塞、ベレンの塔が建ち並び、その姿を目の当たりにすると、ただただ、ポルトガルの歴史に圧倒されるばかり。

Img_4723
彼らは貿易と共にカトリックの布教活動にも力を注ぎます。そこで、遂に日本との関わりが始まっていきます。1543年にはポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着し火縄銃がもたらされた歴史を皮切りに、1549年にはフランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着。キリスト教が日本に初めて伝わり、学校や病院なども建てたられ、信徒を増やしていきました。歴史の教科書に出てくる、天正遣欧少年使節団がヨーロッパに派遣されたのもこの頃です。2年の航海の後、最初に到着したのがリスボン。今回の旅でも、少年使節団が立ち寄ったサン・ロケ教会を訪問しました。400年以上も前に日本とポルトガルの間でこのような交流があった、それも10代の少年たちがやっとの想いで海を渡り西洋の国で大歓迎されたと思うと特別な思いがします。

平和的に二国間の交流が続く中で、ポルトガルからもたらされたパン、てんぷら、コンペイトウ、たばこ、ボタンなどはそのまま日本語に転じて現代の私達も普通に使用していることは有名ですよね。しかし長崎を出発してから8年後、少年たちが日本に戻った頃には既に秀吉によるバテレン追放令が出された後で、キリスト教を取り巻く環境はすっかり変わっていました。その後も日本のキリスト教は厳しい弾圧を受けながらも長崎や熊本の島々で陰ながら細々と信仰が続きました。その信仰の継承を物語っているのが、その地方に建てられた教会群です。これらは長崎と天草地方のキリスト教関連遺産として2018年の世界遺産登録の審議の対象となっています。これから、また国内でそのようなニュースを耳にする度、ポルトガルの事を思い出しそうです。(帯津)

ユーラシア旅行社で行くポルトガルツアーの魅力はこちら
ユーラシア旅行社で行く長崎キリスト教会群を訪ねるツアーの魅力はこちら

ツアーグランプリ2016(国内)

クリスマスに訪れた五島列島、心癒される教会群巡り

2016年1月8日 カテゴリ: 世界の宗教情報世界の文化情報世界の歴史情報日本情報

Dscn6403_3

先日、「イルミネーションに輝く 五島列島巡礼の旅4日間」の添乗より帰国致しました。
いよいよ今年の7月、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産登録の可否が審議されます。五島列島には、そのキリスト教関連遺産として中通島の頭ケ島天主堂、奈留島の江上天主堂、久賀島の旧五輪教会の3つの教会が候補となっています。島は、世界遺産登録に向け、この1、2年でずいぶんと観光客が増えたそうです。

そんな話題の中、私達が訪問したのは、ちょうどクリスマス。24日には厳かな夜のミサも体験しました。この五島列島には50もの大小様々な教会が点在しています。いずれも、キリスト教禁教令が廃止された明治以降に建てられたものだというのですから驚きです。その背景には、16世紀にキリスト教がこの地一帯に伝来して間もなく、秀吉、その後の徳川幕府の禁教令からそれが解けるまでの約250年もの間、迫害を受けながらも細々とその信仰を代々守り続けていたことに繋がります。

Dscn6289

教会内の机には信者の方の聖書や筆記具が置かれており、数時間前にミサがあったと思われるストーブの暖かさが残っていたりと、どの教会も地元の方々の生活の一部になっているのだと感じました。夜には、素朴ながらもクリスマスを祝うイルミネーションが教会に灯され、深い夜の中で静かに輝いていました。

Dscn6422

五島列島はもちろん、教会群を巡るだけではなく、美しい海、そこで獲れる新鮮な海の幸を存分に楽しめるのも魅力。これから春を迎えると五島名産の椿が咲き誇る季節となります。たくさんの魅力がつまった旅でしたが、その中でもやはり一番心を打たれたのは、ひっそりと佇む小さな教会群でした。海外の荘厳な大聖堂や豪華な教会を訪れる機会が多い私ですが、今回の五島では初めて感じる神聖な気持ちに満たされました。(帯津)

ユーラシア旅行社で行く五島列島ツアーはこちら

ユーラシア旅行社で行く「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を巡るツアーはこちら

インドへの旅の途中、玄奘三蔵が立ち寄った地・高昌故城(中国・新疆)

2015年11月24日 カテゴリ: 世界の歴史情報中国・モンゴル情報

高昌故城①

先日ユーラシア旅行社の「シルクロード、西安・敦煌・トルファンへの旅 9日間」のツアーから帰国致しました。
このツアーはタイトル通り、西安、敦煌、トルファンとシルクロードの要衝を訪ねる旅です。シルクロードとは、ユーラシア大陸の東西を結ぶ古代の交通路であり、中国の絹がこの道を通り西へ運ばれたことから、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンによって名づけられました。もちろん絹だけではなく、様々な物資が行き交ったこともあるので「交易の道」でありますが、同時にインドからこの道を通り中国へ仏教が伝わったので「仏教の道」でもあります。ちなみに仏教が最初に中国に伝わったのが1~2世紀頃と言われてきますが、7世紀(唐代)には玄奘三蔵(世間一般で「三蔵法師」とは玄奘を表します)がインドへ仏教を学びに行った時も、シルクロードを通っています。
その玄奘がインドへ赴く途中に立ち寄ったのが現在のトルファンの東40kmのところにある高昌国です。熱心な仏教徒であった高昌国王・麴文泰(きくぶんたい)は玄奘を手厚く迎え入れました。そして麴文泰からこの地にとどまって欲しいとお願いされるも、玄奘は3日間断食をしてインドへ行く決意が固いことを示しました。ここで麴文泰もとどめることを諦め、インドの帰りに再び訪れることを条件に、金銀財宝を贈与したり、護衛の人たちをつけたりするなどして、温かく玄奘を送り出しました。しかし玄奘がインド留学を終えて中国に帰る途中、約束の地・高昌国は唐によって滅ぼされ、国自体がなくなっていました。

高昌故城②

その高昌国の都であった城址遺跡が高昌故城です。昨年「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の1つとして世界文化遺産に登録されました。面積は200万平方m(東京ドーム40個強分)という広大さで、前回私が訪れた時にはロバ車を利用しましたが、世界遺産に登録されたということもあってか、敷地内を電気カートでぐるっと一周することができました。城壁内の建物はほとんど残っていませんでしたが、それがかえって当時を偲ぶことができロマンを感じました。そして大仏寺にてカートを下車。中に入ると丸い建物が見えましたが、これこそが玄奘が説法をしたという説法堂だと言われています。中に入り目を閉じれば、現状の説法が聞こえてくるような(いや空耳か?)。そしてその説法を麴文泰や高昌国の人たちはどのような思いで聞いていたのだろうか?いろいろと思いを馳せたまま、大仏寺をあとにしました。(斉藤信)

ユーラシア旅行社で行くシルクロードツアーはこちら

大きな歴史の舞台は小さな古都レーゲンスブルクから

2015年11月10日 カテゴリ: 世界の歴史情報西欧・南欧情報

先日、「ライン・モーゼル・ドナウ河畔の町々と世界遺産レーゲンスブルクを訪れる 11日間」のツアーより帰国致しました。

ツアータイトル通り、クルーズ船でドイツ国内を流れる3つの河下り(上り)を楽しみ、さらに河沿いを移動しつつ、最後はドナウ河畔の古都レーゲンスブルクへ訪れる楽しいコースです。

このコースのいいところは、何よりも景色が素晴らしいということでしょうか。
そしてワイン。
151007wgf1_70
特にモーゼル川とライン河は両岸の傾斜が深い為、太陽の光が隅々まで届き、結果としてブドウが育つ土壌となったのだそうです。
畑ごとに主に白ワインになるブドウが作られ、今も様々な銘柄のワインが、街ごとに売られています。

試飲が気軽にできるのもうれしいです。リューデスハイムでは、この時期にしかないジュースの様なブドウの香り豊かなフレッシュワインという、1週間くらいしか店頭に出ないワインがあり、ちょっと得した?気分になりました。

この近辺でのワイン作りの歴史は古く、古代ローマ時代からだそうです。
領土拡張の為の都市建設の際に、川は重い物資を大量に輸送する重要な行路でした。

レーゲンスブルクはドナウ河に隣接する街で、特に塩の商取引で栄えたのだそうです。

151007wgf1_117

街の中心地には2世紀頃の古代ローマ時代の門が残り、町の中心の大聖堂のすぐそばにはナポレオンが居住した宮殿跡が残り、少し歩けば神聖ローマ帝国議会場跡や皇帝が滞在したホテルがあります。

ドナウ河に出ると12世紀に十字軍も歩いた石橋や、中世には巨大な富が詰まっていた塩の倉庫があり、更に街の中には17世紀の建物に12世紀の頃の扉がついていたり、バルコニー部分だけ15世紀の造りだったりする家や、壁一面に新約聖書の一部が描かれた斬新なアパルトマンを見つけたり、とにかく歩いているだけでいろんな時代に出会える楽しい街です。
さて、そんな街中にはいくつかの銅像が立っていますが、その一つにドン・フアン象があります。

ヨーロッパに「日の没することなき帝国」を作り上げたカール5世(スペイン国王カルロス1世)が、帝国議会が開催されるときにレーゲンスブルクの可愛らしい町娘に出会い、一夜を共にして生まれたのがドン・フアン(正式名称はドン・フアン・デ・アウストリア)だったそうです。

151007wgf1_93

スペインでフェリペ2世に弟として軍人として、世界史の教科書にも載っているレパントの海戦でオスマントルコを破ったことで有名ですが、実は、とっっっ ても!女たらしだった…という伝承が残っています。

まぁ…31歳の若さで亡くなられたし、私生児とはいえ皇帝の息子ですから、きっと街の娘たちの憧れだったんだと思います。

そうそう、こんなことがありました。

レーゲンスブルクで私達が夕食後にレストランからホテルへ戻るとき、ゆっくり歩いていたのですが、大聖堂へ差し掛かった時に大勢の若者(たぶん)がいました。

何かのイベントかと思い、話しかけると!ナント、とってもハンサム(by 一部のお客様のご意見による)がにっこりと「今から気の合う仲間で飲みに行くのさ、大聖堂はいつもの待ち合わせ場所さ」と、答えてくれました。

一緒に行く?とはもちろん言われませんでしたけど、ハンサム氏の笑顔にお客様のテンションも一気に上がり、楽しい帰り道となりました。

きっとドン・フアンもこんな感じで街娘をキャーキャー言わせたのではないかなぁ、などと思いました。
レーゲンスブルクの街中の細い路地をプラプラ歩いていると、曲がり角から悪戯っぽい笑みを浮かべたドン・フアンが現れそうな、不思議な錯覚にとらわれます。(齋藤晃)

ユーラシアで行くドイツツアーはこちら
ヨーロッパの河を楽しむツアーはこちら

312件中:1~10件目まで表示中

2018年10月
« 9月    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  

人気の記事ランキング

  • 1

    神秘のオーロラを求めて(カナダ・イエローナイフ)

    神秘のオーロラを求めて(カナダ・イエローナイフ)

  • 2

    五島列島を食べ尽くす!

    五島列島を食べ尽くす!

  • 3

    サハラ砂漠、朝日が身に沁み入る一日の始まり(モロッコ)

    サハラ砂漠、朝日が身に沁み入る一日の始まり(モロッコ)

  • 4

    トルコの今

    トルコの今

  • 5

    タスマニアで出会う!かわいい動物たち(オーストラリア)

    タスマニアで出会う!かわいい動物たち(オーストラリア)

  • 6

    エンジェルフォールの麓で夢の中へ!(ギアナ高地)

    エンジェルフォールの麓で夢の中へ!(ギアナ高地)

  • 7

    感動のエベレスト再会!そしてネパールへの国境越えも再開!(チベット)

    感動のエベレスト再会!そしてネパールへの国境越えも再開!(チベット)

  • 8

    世界で最も美しい鳥ケツァルに出会えました!(コスタリカ)

    世界で最も美しい鳥ケツァルに出会えました!(コスタリカ)

  • 9

    3年ぶりに再開のチュニジアの古代遺跡はやっぱり素晴らしい!!

    3年ぶりに再開のチュニジアの古代遺跡はやっぱり素晴らしい!!

  • 10

    世界一美しいお祭り!?古都を彩る花絨毯(グアテマラ)

    世界一美しいお祭り!?古都を彩る花絨毯(グアテマラ)

ユーラシア旅行社の社員ブログ