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元寇から日本を救った英雄!その名も「助国」さんの物語(長崎の壱岐・対馬の旅)

2018年10月16日 カテゴリ: 日本情報

先日、「魏志倭人伝が息づく島・壱岐と防人の島・対馬 4日間」のツアーに行ってきました。
壱岐、対馬はかつて大陸(朝鮮半島)との交易の中継地だったが故にさまざまな人々が往来し、歴史が刻まれ、それだけに観光名所や見どころが想像以上に多い島でした。
今回の旅では、古墳~飛鳥時代の「古墳群」や弥生時代の集落と水田跡の「原の辻遺跡」、わずか50キロ先の対岸に韓国の釜山を望む「韓国展望所」、幻となった「ツシマヤマネコ」など様々な観光地を回り巡ってきました。
今日は壱岐対馬の旅で私が最も衝撃を受けた「防人」の話をご紹介します。

元弘で討死した兵士を祀った小茂田濱神社

元弘で討死した兵士を祀った小茂田濱神社

 

旅の終盤で立ち寄った対馬、南西部海岸にある「小茂田濱神社」。
この神社では、弁達者な地元の名ガイドさんから、かつて対馬にいた防人たちとモンゴル軍との死闘、思わず身震いするような武人達の獅子奮迅の大活躍の話を聞いてきました。

「防人」と言えば、必ず歴史の教科書で鎌倉時代に登場するので覚えている方も多いでしょう。当時破竹の勢いで西へ東へ覇権を広げていたモンゴル軍が日本に襲来した頃、国を守る為に3年間の任期で九州北部に配置された守備兵のことです。この防人たちは日本全国、遠くは東国(関東や東北地方)からも馳せ参じ、対馬を含む九州沿岸一帯で戦闘配置につきました。
そんな防人たちとともに日本を守る為に命をかけて戦った人々がいました。

そう、九州と朝鮮半島の間に浮かぶ「対馬」の人たちです。
モンゴル軍が襲ってきた13世紀に対馬を統治していたのは宗家でした。 宗家は12世紀から19世紀の明治維新まで断絶することなく、長らく対馬を治めた藩主です。元寇や戦国時代の朝鮮出兵時には先頭に立って戦い、時には対朝鮮外交の窓口となり、難しい交渉や折衝を担って幕府の信頼を得ていました。
そして時は1274年。
兵3万人を満載した軍船900隻が対馬の沖合に現れました。
蒙古軍襲来の知らせを聞いた時の当主、宗助国は68才。
老将は迷うことなく80騎兵を従えて一目散で西岸の佐須浦へ向かい、ひるむことなく大軍を相手に奮戦し、全員が討ち死にしました。
蒙古軍との壮絶な戦いを物語るかのように、助国の亡骸を納めた墓は、首塚や手足塚、胴塚、果ては太刀塚など小茂田浜神社周辺に散らばっています。 小茂田浜神社は軍神となった助国以下、元寇で戦死した武士達の霊を祀っています。
蒙古の大軍が押し寄せた神社の裏、佐須浦を歩いてみました。
海岸は埋め立てられ、今は美しい浜辺になっています。

1274年、兵3万人を満載した軍船900隻が現れた佐須浦

1274年、兵3万人を満載した軍船900隻が現れた佐須浦

 

海開き前の初夏だったので、まだ人っ子一人おらず、ここで大軍が押し寄せ死闘を繰り広げたことなど全く想像できないほど平和な時間を感じました。 波風なく、静寂に包まれた美しい浜。
穏やかな午後の日差しが印象的でした。
現在でも毎年11月12日には、士族の末裔が鎧に身をかためて小茂田浜に集い、恐ろしい元寇を記憶に留め後世に伝える大祭が続いています。 鎧武者を先頭にした「武者行列」が佐須浦の浜まで練り歩き、蒙古軍を迎え打った時と同じく、海に向かって矢を構える「鳴弦の儀」と呼ばれる、弓射りが行われます。
実は、この対馬を長らく治めた宗氏は現在まで脈々と続いており、現当主であり、宗氏の末裔の方が毎年このお祭りの時期に対馬を訪れているそうです。 海に向かって武士大将役が「エイエイ」と采配を振るうと武士たちが太鼓を叩き「オーオー」と呼応する姿にかつての老将、助国の姿を見たような気がしました。(上田)

ひむかの国で個性豊かな日本神話の神様たちに出会う(宮崎県)

2018年6月21日 カテゴリ: 日本情報

この度、ユーラシア旅行社の「日本神話の舞台とひむか神話街道を歩く4日間」より戻りました。
旅のスタートは晴天に恵まれ熊本空港から宮崎県の高千穂に向かう途中、新緑美しい阿蘇山の外輪山、内輪山を左右に眺めながらのドライブを楽しめました。宮崎県では高千穂と宮崎市に滞在し、ひむか神話街道沿線の神様ゆかりの地を巡りました。最後は神武天皇ゆかりの霧島六社権現の神社を巡って鹿児島から九州を出るという充実の4日間の旅です。

霧島神宮

霧島神宮

宮崎県は「神話と伝説のふるさと」と言われています。ひむか神話街道の「ひむか」とは「日の向かう地」という意味で、日本の夜明けのような意味があります。現在も日向(ひゅうが)という地名が残っていますが、昔からこの辺りは「ひむか」と呼ばれていたそうです。
日本神話の代表的な物で、太陽の神様・天照大神(アマテラスオオミカミ)が、須佐之男命(スサノオノミコト)のいたずらに怒って岩戸に隠れてしまい、世界が暗くなってしまったという話があります。
高千穂で、その物語の舞台となった天岩戸神社と天安河原を訪ねました。
天岩戸神社では神職の方にお願いして、本殿の裏手側の聖域に案内して頂きました。神社の裏の崖を隔てた向こうの山(ご本尊)を眺めました。ここは昔から人が立ち入ってはならない神の領域。地元の人もずっとその言い伝えを守っているそうです。
その鬱蒼と茂った木々の一部に洞窟のようなものが確認できます。神職の方の説明によると、そここそが天照大神が隠れたという場所だそうです。聖域にいる間、気のせいかもしれませんが、他とは違う何か重たいまとわりつくような不思議な空気を感じました。

天安河原

天安河原

天安河原は、岩戸に隠れた天照大神をなんとか外に出すため他の神々が集まって相談した場所で、日本で最初の国会議事堂とも言われています。
神々があれやこれやと工夫を凝らして、やっと天照大神は岩戸から出てきたわけですが、その時活躍したのが天鈿女命(アマノウズメノミコト)です。裸になって楽しく歌って踊って、他の神々を楽しませたため、何事だろうと思った天照大神が岩戸から覗き見た時に手力男命(タヂカラヲノミコト)が引っ張り出したんだそう。
天鈿女命は日本で最初のストリッパーと言われ、また、その姿から「楽」という漢字が生まれ、「神楽(かぐら)」は神々が楽しんでいる様子を表現したものとも言われています。
今回の旅では、そんな神話や逸話を他にも沢山聞く事が出来ました。これまで、神々の系図を見ても、名前を読むだけで一苦労でしたが、今回の旅を通じて、神話の世界の神々がより身近に感じられるようになりました。(関根)

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春の瀬戸内海島めぐり、塩飽(しわく)諸島(広島・愛媛・香川県)

2018年4月6日 カテゴリ: 日本情報

先日、瀬戸内海の島めぐりのツアーに行ってきました。

3月の瀬戸内海は、関東地方より一足早い春のポカポカ陽気に包まれていました。
島の田舎道をのんびり歩いていると、甘い香り漂う黄色の水仙の花が咲き、畑の畦道にポツンと佇む桜が咲き始め、 春ならではの雰囲気を感じることができました。

今回の旅では、ローカルな島々を中心に巡りました。
広島県のとびしま海道では、室町から江戸時代に朝鮮通信使の大船団が寄港した下蒲刈島から上蒲刈島へ渡り、 風待ち潮待ちの港町として賑わい、坂本龍馬が密談をした大崎下島を経て愛媛県の今治に船で渡りました。
香川県の丸亀港からは大阪城の石垣の石材供給地だった塩飽諸島(広島、本島)に渡り、 更に高松港から桃太郎伝説が残る女木島と男木島へと渡り、最後に小豆島を周遊しました。
島から島への移動は瀬戸内海の生活航路です。
土地の人々が日常使っているフェリーは生活感が感じられる一方で、デッキから紺碧の瀬戸内海と過ぎてゆく島影を眺めながら、ちょっとしたクルーズ気分も味わうことができました。

瀬戸内海の塩飽諸島、本島笠島まち保存地区

特に印象に残ったのは、塩飽諸島の本島(ほんじま)散策でした。
瀬戸内海の風や潮流を知り尽くした水夫達が組織する塩飽水軍は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康からも重宝され、 島の自治を認められていたほどです。
また幕末に日米修好通商条約批准の為、太平洋を越えサンフランシスコ往復を成し遂げた咸臨丸の水夫達も塩飽諸島出身者でした。
交易で得た財力や優秀な船大工の技術は建築にも受け継がれ、 島内には江戸から明治、戦前に建てられた100棟ほどの家々が今なお残っています。
潮風に強い焼板を使った真っ黒な外壁の「なまこ壁(焼板なので炙られた板面がブツブツしている)」や 千本格子窓、虫籠窓や軒下の持ち送り装飾など熟練大工の技を駆使した見事な仕事っぷりに感心です。

びっくりしたのは島の資料館。
かつて長老達が執務していた勤番所跡には、織田信長や豊臣秀吉の朱印状がひっそりと展示されていたのには驚きでした。

今回の旅で訪れた島は全部で9だけです。
瀬戸内海にはまだ残り718の島が浮かんでいます。
人が住み、歴史が残る島はもっと少なくなるとしても、
瀬戸内海には、訪れるべき島がまだまだありそうです。
(上田)

私が見つけた熊野古道伊勢路、3つのキーワード(三重)

2017年11月24日 カテゴリ: 日本情報

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 先日、三重県の熊野古道伊勢路を歩くツアーに行ってきました。日本書紀や古事記の神話の時代から、紀伊山地は神々が集まる神聖な場所として知られたいた場所。人々はこの熊野に極楽浄土を求めて歩いていたそうです。
 その中でも熊野古道の伊勢路は三重県の伊勢神宮から熊野までの約170kmを指し、上皇など身分が高い人が歩いた紀伊路と比べ、お伊勢参りを終えた庶民が熊野へ向かう参詣道として利用されたルートです。私たちはその庶民ルートの一部の峠越えに挑戦してきました。

そこで、その伊勢路の3日間をキーワード「石畳」「徐福」「里山」、この3つを通してご紹介したいと思います。

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■「石畳」
伊勢路の特徴は、やはり何と言っても山道に続く美しい石畳。私たちは伊勢路の中の、馬越峠、ツヅラト峠、波田須の道、3か所をハイキング。江戸時代の人たちが1日20~30キロ歩いて完歩したルートの良いとこ取り。なんと、紀伊半島東部は日本有数の多雨地域で、屋久島の次ぐらいに雨が多い場所、東京の約3倍以上。その為、山道が崩れないように舗装する為に敷き詰められたのが、この「石畳」だった訳です。古いもので鎌倉時代の石畳も残ります。「ここは籠屋がいたところ、ここは茶屋があり、ここで足を洗う洗い越し」と歩きながら語り部さんが説明してくれ、往時の情景が目に浮かぶようでした。

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■「徐福」
全国に残る徐福伝説。秦の始皇帝に命じられて「不老不死」の薬を求めてきた人物。約3千人の従者を連れて海を渡り、日本に今から2200年前に行き着いたのですから、想像を絶します。本当は始皇帝の暴君ぶりに堪えられなくなって亡命してきた説もあるそうですが、日本全国に徐福が辿りついたとされる場所が残り、ここ三重の波田須にも徐福のお墓があります。ここに到着した証拠に、当時中国で使われていた半両銭がこの辺りで出土したと語り部さんがなんと本物を見せてくれました。半信半疑になりながらも、去り際に不老不死の薬とされた「天台烏薬(テンダイウヤク)」を実はひっそりとポケットに忍ばせました。

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■「里山」
ゆっくりと林道を歩き終わると伊勢路では必ず里山が見えてきます。ちょうど10月の下旬、秋の季節だったこともあり、収穫の時期。歩いていると「どこから来なさったのか」と尋ねられ、話が弾むと、やれサツマイモ、やれ蜜柑、と収穫物をおすそ分け。観光客をも温かく迎え入れてくれました。こんなこと都内ではきっとあり得ません。また流行りのIターン転職で他県から移住して働いている若者にも多く出会い、彼らが作る地元直産蜜柑ジュースは絶品でした。普段の生活では感じない人と人との繋がりを感じた優しい空間にほっこり。

神様も仏様もいる聖地、熊野古道。神仏混淆(習合)の日本独自の宗教観が息づく、スピリチャルな紀伊半島。普段は全くもって歩かないのに、次は中辺路、小辺路の順に挑戦したい!と帰路、神は私を決意させました。(坂岸)

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これぞ日本一、秋の夜空に輝く花火

2017年10月12日 カテゴリ: 日本情報

「日本三大花火、土浦全国花火競技大会と水戸探訪2日間」から戻ってまいりました。
今回の旅の目的はなんといっても土浦の花火大会です。土浦の花火大会は、長岡、大曲の花火とともに日本三大花火大会の一つに数えられています。花火といえば夏の風物詩。なぜ秋に?と思われる方も多いでしょう。それは土浦の花火大会が実りの秋を祝うという意味もあるからだそうです。
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さて、土浦の花火大会はただの花火大会ではありません。正式名称は「土浦全国競技花火大会」。つまり、全国の花火師たちが腕を競い合い、日本一を目指すのです。今回も北は北海道から南は鹿児島まで、全国津々浦々からやってきた花火師たちが渾身の93の作品を打ち上げました。
午後3時、バスを駐車場に止め、私たちは会場である桜川沿いの桟敷席を目指して歩き始めました。途中からだんだんと人も増えてきて、なかなか前に進むことができません。土手沿いの道には多くの露店が立ち並び、美味しそうな匂いが漂ってきます。一般開放の土手は席取りの人々で埋まっていました。そうした熱気に押されて我々のテンションも上がります。巨大な桟敷席にはすでに大勢の人が座り、桜川に沈む夕日を眺めながら花火大会の開始をまっていました。
真っ暗になった夜6時、ついに大会が始まりました。始めに参加する花火師たちがずらりとステージにあがり、「皆様に最高の花火をお届けすることを誓います」と高らかに宣誓しました。そう、これは花火師たちの真剣勝負なのです。観る側も気が引き締まる思いがしました。普通の花火大会と異なるのは、「●番、○○煙火工業」というように花火が打ち上げられる前に出品業者が紹介されることです。審査は「スターマイン」「10号玉」「創造花火」の3部門で行われます。日本の伝統的な花火、真円を描く10号玉も素敵ですが、なんといっても豪勢なのは「スターマイン」でしょう。2分30秒以内に2.5号玉から4号玉数百発を音楽に合せて打ち上げ、テーマ曲の世界を夜空に描き出します。まるで踊り子が舞う舞台を見ているようで、息をするのも忘れて見入ってしまいました。素晴らしい作品には歓声があがり、打ち終わったあと、自然と大きな拍手が沸き起こりました。
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さて、花火大会のお楽しみの一つは、ワイドスターマイン「土浦花火づくし」です。競技作品ではありませんが、大会の中盤の約6分間、息をつく間もなく花火が打ちあがり、視界に入る夜空の全てが花火で覆われます。まさに圧巻の一言でした。
 余韻に浸りながらの帰り道は、行きよりも短く感じました。一瞬で消える花火に精魂傾ける花火師たちの情熱にふれたひと時でした。(大西)

土浦花火大会のツアーは2018年3月頃に発表予定です。

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これぞ三河の粋!“炎の祭典”手筒花火(国内旅行)

2017年9月21日 カテゴリ: 日本情報

先日、9月9日発「豊橋“炎の祭典”手筒花火と井伊家ゆかりの地へ 2日間」より戻りました。この度のメインは何と言っても、450年以上もの歴史を持つ、豊橋の手筒花火見学です。手筒花火と聞いてもピンとこない方も多くいらっしゃると思いますが、手筒花火とは直径10cm、長さ約80cmの竹の中には火薬を敷き詰めて揚げる吹上花火のことです。打ち上げ花火との違いは、その火柱!何と10m以上もの火柱が吹き上げます。大きいものでは、筒の直径30cmにも及び、その火柱の高さといったら圧巻の一言。手筒花火は、愛知県豊橋市の吉田神社が発祥の地といわれ、かつてこの地を治めた徳川家康が三河衆に火薬の製造を任せたことに由来すると言われています。
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今回はそんな手筒花火が盛んな豊橋にて開催される手筒花火を中心とした花火大会“炎の祭典”を見学しました。隅田川花火大会などの都内で開催される大きな花火大会とは異なり、そこまでの来場者を想定していなかった私ですが、いざ会場に到着すると、地元の方々だけでなく、東西南北、全国各地から手筒花火を一目見ようと集結していました。会場は豊橋公園内の球場、外野席から内野席、さらにはグラウンド内に特設されたアリーナ席まで、空席はほとんどない程の賑わい。
そしていよいよ花火大会の開始!手筒花火を持った人々が横一列に並び、合図とともに点火。すると、次々と火柱が吹き上がります。打つ上げ花火とは違い、手筒花火は筒を持ったまま、火をつけ、吹き上がっている間もずっと人の手に抱えられています。火花が降り注いでくるのも構わず、ボーンっという吹上の終わりを告げる音が聞こえるまで、持ち手は片時も筒を手放すことはできません。とてつもなく熱いであろう火花に耐え、それでも一直線に火柱を上げ続ける持ち手の方々に、三河の粋を感じました。
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豊橋の手筒花火は、“炎の祭典”だけではなく、4月から10月にかけて豊橋市内各地で開催されます。豊橋を訪れる機会があれば、三河の粋を感じてみてください。(吉村)
豊橋“炎の祭典”を訪れるコースは2018年2月頃に発表予定です。
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一千年もの歴史!雅な世界観にうっとり。(京都、祇園祭)

2017年8月16日 カテゴリ: 日本情報

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先日、「京都祇園祭、宵山・山鉾巡行と貴船の川床料理 3日間」の添乗より戻りました。毎年7月、ひと月に渡って神事、行事が行われる京都の祇園祭。中でも最大の見どころである山鉾巡行は、京都や関西方面にお住まいの方でなくともテレビのニュースなどで見かけたことがある方も多いはず。伝統に従い巡行は前祭り(さきまつり)、後祭り(あとまつり)の2回に分けて行われますが、今回は、巡行の3日前まで行われる「宵山」と「前祭り」をたっぷり楽しみました。

祇園祭の歴史は一千年以上も前、869年に全国的に疫病が流行した為、鉾を立て神輿を送って疫病退散を祈願したのが始まりとされています。時が経つにつれ、山鉾の数、そしてその装飾が豪華に付け加えられていきます。長い歴史の中では、応仁の乱や太平洋戦争などで祭りが中止されたり、火災の被害を受けた山鉾も数々ありましたが、その度に山鉾を有する町の人々の手によって祭りは継続されてきました。

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朝、余裕をもってホテルを出発し御池通りに設置された有料観覧席に到着!やがて、遠くから、お囃子が響いてきました。地元の方によると、その音は「コンチキチン」と聞こえるそうですが、私には言葉には言い表せられない、とても優雅な音色に聞こえました。一番鉾である、先頭の「長刀鉾」がゆっくりと進んできます。目の前に迫った時は、その美しい装飾、精緻な彫刻やエキゾチックな絨毯に目が釘付け。そして、よく見ると総勢20もの囃子方が乗る鉾の中央ではお稚児さんが舞っているではありませんか!今では、お稚児さんが乗るのはこの長刀鉾だけ。(人形の所もある)年毎に、選ばれたお稚児さんは神の代わりとして祭りの期間は様々な決め事があるそうです。大工方から囃子方、引手まで、沢山の人がこの日に向けてどれだけ準備してきたのだろうかと想像します。町によって、山鉾が異なるように、着物や持ち物、お囃子も異なります。そのような山鉾以外の違いも見ていると飽きません。

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こうして、最後の「大船鉾」まで、23基もの山鉾が2時間以上かけて通りゆく絢爛豪華な姿を目の当たりにし、暑さも忘れ夢中になって見入りました。京都府警の発表によると、今年は昨年より3万人多い22万人の人出だったそうです。ツアーでは観覧席で見学しましたので、混乱なく巡行を楽しむ事ができました。前日の夜は宵山で賑わう町を散策しました。ちょうちんに明かりが灯った山鉾も粋なものです。また、山鉾の周りや会所ではその町内の子供たちが粽などを声を張り上げて売っており祭りムードを盛り上げていました。日本三大祭りの一つであり、これ程の長い歴史を誇るこの大きな祭りが私たちの心を惹きつけるは、誇りを持って山鉾に携わる多くの地元の人々によって大切に受け継がれ支えられているからなのだと実感しました。(帯津)

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白神山地で感じる、晴れの森と雨の森

2017年7月26日 カテゴリ: 日本情報

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先日7月2日出発「充実の白神山地ハイキング」の添乗に行って参りました。
白神山地は、青森県と秋田県にまたがる山岳地帯で、その面積は17,000ヘクタールに及びます。ほとんど人為的影響を受けずに残る広範囲に広がる原始的ブナの森が残されていることが評価され、1993年には世界遺産に指定されました。

今回のツアーでは、ブナの森を4日に渡ってハイキングし、じっくり歩いてきました。
まずは、白神山地南麓の秋田県側からスタート。田苗代(たなしろ)湿原では、キスゲのシーズンでした。今年は一面の花という状況ではありませんでしたが、ブナの森に囲まれた湿原にひっそりと咲くキスゲは、清廉な乙女のようでした。

ツアーでは4日間、ブナの森でガイドの方の話に耳を傾けながらハイキングを続けました。ブナは生育が遅く、また水分が多いため、建築資材としては繁用されることはありませんでした。しかし、ブナには特別な役割があります。森の中の天然のダムという役割です。ブナの木々はお互いに絡めながら根っこを地面に張り巡らせます。そうして、土中にしっかりと水分を貯め込んでいます。大雨があっても、ブナの根っこのお蔭でそう簡単に土砂崩れを起こすことはありません。また、約100年かけて立派な成木となったブナは、1本の木に約10トンの水を蓄えているのだそうです。10トントラック1台分の水分とは、ブナの保水力には驚きます。だからこそ、ブナの森にはシットリとした空気が漂い、足元は腐葉土でフカフカとしているのでしょう。

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さて、お天気はというと、梅雨の時期ということもあり、毎日晴れとはいきませんでした。曇っている時もあれば、本降りの時もあり、また、晴れ間が射すこともありました。このようなお天気の移り変わりもまた、自然の営みの一部です。雨の中を歩けば、ブナの大きな葉っぱから枝を伝って根っこへと雨が伝わる様子がわかりました。また、白い靄のかかった森では、まるで幽玄なる世界に迷い込んだような気がしました。そして晴れていれば、木々の葉からこぼれるような日差しを感じました。そのどれも、ブナにとっては生きていくために必要なものです。ブナが貯め込んだ水がやがて川を流れて海に注ぎ込み、その海で育った海の恵みをもって人間が生きています。白神のガイドの方々が、そんな話を情熱的に語っていたのがとても印象的でした。そうして4日の旅を終える頃には、ブナの森がとても愛おしく感じられるようになりました。雨の森、晴れの森、どちらも美しいブナの森に出会えた気持ちで旅を終えました。(斎藤さ)

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“花の浮島”礼文島と知床の自然

2017年7月18日 カテゴリ: 日本情報船の旅情報

 礼文の花

 先日、「クルーズでつなぐベストシーズンの礼文島と知床を歩く」の添乗より戻りました。
クルーズ船“ぱしふぃっくびいなす”で小樽港から3泊の船旅へ。
 北海道のさらに北部。稚内沖に浮かぶ礼文島は、初夏、花々が咲き“花の浮島”と呼ばれます。港では島民の皆さんが、手作り昆布茶でお出迎え。ここからフラワーガイドさんと花を観ながらのハイキングに出発しました。チシマフウロ、レブンシオガマ、オオカサモチ、オオハナウド、センダイハギ、ハイキンポウゲ、エゾカンゾウ、ハマナス、アサギリソウ、ハクサンチドリ、シャク、オニシモツケ、バイケイソウ、ネムロシオガマ、エゾオオバコ、チシマシンレイカなどを観察しながらハイキング。午後には植物園を訪れ特定国内希少種、北海道の天然記念物に指定されているレブンアツモリソウを観察しました。
 翌日は世界自然遺産、知床へ。海と陸とが一体になった生態系と、生物の多様性が認められ、2005年、日本で3番目の世界自然遺産に登録されました。知床五湖フィールドハウスから、ライセンスガイドさんの引率で、五湖全てを堪能する大ループのハイキングに出発。早速ウグイスやアオジの鳴き声が歓迎。ただいま鳥の繁殖期。オスは鳴き声や木をつつく音、羽音でメスにアピールします。花が終わって大きく育ったミズバショウ。開拓期に植えられたトドマツの木。知床の森は広葉樹も針葉樹も入り交じった針広混交林です。キビタキの声、昔は鉛筆に使われていたイチイの木、アカハラの声、ヤマブドウのツルが絡み付いた木にはヒグマの爪痕。ヒグマは木登りが上手で、ぶどう狩りをしたようです。
5湖ではルリイトトンボが飛び、ネムロコウホネが湖から咲いていました。4湖のほとりにはツタウルシ、サルナシ(=コクワ、実はキウイのよう)、ギンリョウソウ、ミズナラの木(昔ニッカウイスキーで樽の材料にしていました)にツリガネダケ。雪解け水でできた通称3.5湖にはエゾアカガエルを食べにシマフクロウがやってきます。ガイドさんのご自宅にも稀にシマフクロウが現れるそうです。羽を広げると全長2mにもなり、まるで畳が飛んでいるように見えるとか。3湖そばには、かつて知床五湖の象徴だったミズナラの木の倒木。再びミズバショウの繁殖地、クマもヒトも食べませんが、エゾシカが食べます。2湖越しに次第に雲が晴れて見えてきた知床連山。羅臼岳、三ツ峰、サシルイ岳、オチカバケ岳、硫黄山、新噴火口が並びます。
 巨大なキツツキ、クマゲラの開けた穴。穴を開けた後、長い舌で中の虫を食べますが、舌は木を突くときに脳を守るクッションの役割も果たすそうです。突いて開けた穴の形が舟に似ていることから、アイヌの人々は“舟の掘り方を教えにきてくれた神様”と呼ぶそうです。

寝ている間に次の目的地へ。クルーズの旅が快適なことは言うまでもありませんが、ぱしふぃっくびいなすは日本クルーズ客船が運航するだけあり、船員も皆日本語ができ、船内生活には一切不自由がありませんでした。
(尾崎)

海の底へと沈んでいった多くの命(沖縄)

2017年6月30日 カテゴリ: 日本情報

本日は海外の話題ではなく、日本国内の大切な、でも少し暗いテーマを。

6月23日沖縄の慰霊の日、テレビや新聞で多くの人が犠牲者を悼んでいるを見ながら、私も人生で初めて、当日に沖縄に向けて静かに黙祷を捧げました。そうさせたのは、先日「沖縄地上戦の事実に触れる旅3日間」のツアーより戻ってきたからです。

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今から72年前の4月1日米軍が本島上陸した読谷村の見学からツアーは始まり、首里陥落から撤退、そして本島南部・組織的戦闘が終わった6月23日の摩文仁の丘までを巡る決戦の時間軸の添った濃い3日間でした。その中でも、那覇市内にある「対馬丸記念館」では、体験者の方の語りを聞くことができ、貴重な時間を過ごしました。

1944年7月にサイパン島で日本軍は全滅し、大本営は沖縄が戦場になる日が近いと読み、県民のお年寄りや女性そして子供を船で県外へ疎開させるように指示をしました。1944年8月22日その疎開船の1隻対馬丸には学童、一般合せて1661名の疎開者が乗船したにも関わらず、夜22時過ぎ、米軍の魚雷攻撃を受け、わずか10分足らずで沈没し、分かっているだけで1482名が犠牲になった(データは今も更新されています)惨劇、対馬丸事件。

今回の語り部の方は、一般疎開でお母様、お姉様と一緒に対馬丸に乗船し、たった4歳で生き残ったという男性でした。

「4歳ということもあり、鮮明には覚えていません。船が沈没する瞬間「飛び込めー」「早くしろー」という怒号が今も聞こえてくる気がします。そして海に投げ出された後、醤油樽につかまったお母さんと自分、お母さんは「お姉ちゃんを探してくる」と言って樽を離して泳いで行ってしまい、それきり見ていないんです。だから、小さい頃から「お母さん」と発した記憶がないんですよ。」

空腹の中、数日間海を彷徨い、奇跡的に漁船に救助されたご本人。それから九州を転々として沖縄に戻ったのは7年後だったとのこと。そして、事実を伝えてはいけないという「箝口令」が二重に生存者たちを苦しめました。本島に残った家族は音沙汰ない子供たちの安否を心配し、生き残りの人たちは自分の不安を誰にも伝えられない-。
対馬丸記念館のフロアには亡くなった方の写真展示があり、語り部の方のお母様やお姉様のお写真も紹介してもらいました。

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沖縄県民の4人に1人が亡くなったと言われる軍民一体で戦った本土決戦、戦没者は前述の対馬丸の犠牲者を含めて20万人以上。決して忘れてはならない、繰り返してはならない史実を勉強した3日間でした。

旧海軍司令部壕で読んだ大田実海軍司令官の有名な訣別電報
「沖縄県民カク戦エリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
(=沖縄県民はこのように戦いぬいた。県民に対し、今後、特別の配慮をお願いしたい)

戦後、本当にご高配が賜られているのか・・・米軍の訓練機が轟音をたてて飛ぶ沖縄の空を眺めながら考えました。(坂岸)

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    トルコの今

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    エンジェルフォールの麓で夢の中へ!(ギアナ高地)

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    感動のエベレスト再会!そしてネパールへの国境越えも再開!(チベット)

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    世界で最も美しい鳥ケツァルに出会えました!(コスタリカ)

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    3年ぶりに再開のチュニジアの古代遺跡はやっぱり素晴らしい!!

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    世界一美しいお祭り!?古都を彩る花絨毯(グアテマラ)

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ユーラシア旅行社の社員ブログ