日付:2015年10月の検索結果

ゲバラ日記のすゝめ(ボリビア、ゲバラ終焉の地・バジェグランデ)

2015年10月30日 カテゴリ: 中南米情報

近年、空前の「ウユニ塩湖」ブームで話題の国、ボリビア。世界一標高の高い首都・ラパスやそこに暮らす先住民のアイマラ族、銀の街ポトシやボリビア誕生の地スクレなど、まだまだ失われていない素朴さがボリビアの人気の理由。しかし、魅力はそれだけではありません。今回のツアータイトルは、ずばり「ウユニ塩湖とゲバラ終焉の地、ボリビア世界遺産紀行11日間」。〝知られざる〟もうひとつのボリビアのハイライトを巡ってきました。

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〝エルネスト・チェ・ゲバラ〟誰もが彼の名を聞いたことがあるでしょう。1950年代、バチスタ軍事独裁政権に対しゲリラ戦を繰り広げ、キューバ革命を成功させた英雄。キューバのみならず今尚、世界中の多くの人々の心を惹きつけて止まないヒーローです。輝かしい功績を残したキューバ革命の後は、アフリカのコンゴ、そしてボリビアでゲリラ戦を展開し、帝国主義国の搾取に苦しめられている地で戦い続けましたがいずれも失敗。最終的にはボリビアのアンデス山中で捕えられ射殺されてしまいます。その後、ボリビア政府軍によって遺体は隠され、30年後の1997年に発見された・・・というエピソードは何度かこのブログで紹介されていますので、今日はちょっと違った観点でお話しします。

「ゲバラ日記」という本をご存知でしょうか。その名の通り、チェ・ゲバラ自身がアンデス山中に潜伏していた日々の事を綴った日記です。如何なる瞬間も油断を許さないという状況の中で、淡々と客観的に綴った彼の野戦日記には、〝いつ、どこの村で何を調達した〟とか〝○○村から何キロ地点で、誰其が負傷〟など、毎日の記録をかなり詳細に記録しています。そのお蔭で、ゲリラ戦から48年経った今でも、ゲバラ達の確実な歩みを、私たちは知る事が出来るのです。又、共に戦った同士達もそれぞれが日記をつけており、ゲバラが捕えられるまでの一連の動きや、チューロ渓谷の戦闘の様子を知る手がかりになります。

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ボリビア・サンタクルス州、私たちを乗せたバスが青々と草木が茂るアンデス山脈にさしかかると、現地ガイドは何度かバスを止め、「さぁ、ここでフォトストップだ。」と言いました。誰もが「こんな所で?何もないのに」という気持ちでしたが、実は、こういう何の変哲もない、荒々しい自然と隣り合わせの田舎の村こそがゲバラ達が歩んだ、ゆかりの土地なのです。サマイパタへ向かう道中、数軒の民家が立ち並ぶ小さな集落で聞いた、ガイドの話が印象的でした。「‘67年7月16日、当時はここに一軒の民家しかなかった。ここからゲバラは日用品や薬(特に彼自身の喘息の発作を和らげる薬)を手に入れるため、6人の戦士をサマイパタの町へ送ったんだ。彼らは、この道の前に立って、ヒッチハイクをしようと車を待ったんだが、サマイパタへ向かう車は一台も通ることはなく、6人を歩いて行かせた。結局、町へ行っても喘息の薬は見つからなかったが、ゲバラはこの村唯一の民家で彼らの帰りを待たせてもらった。その後、ゲリラ達は私たちの後方に続くこの獣道を進んで行った。」
この48年前のエピソードは、あまりにも鮮明な状態でガイドの口から説明されたので、まるで数日前に起こった出来事で、武装した彼らが大きなリュックサックを背負って、鬱蒼とした茂みの中を歩いていく姿を錯覚してしまいました。
また、ゲバラが暗殺された後の5人の生き残りゲリラ兵の逃避劇も凄まじいものです。国外脱出を試みて、ほとんど地球一周の逃避行、そして遂に、彼らの祖国であるキューバへの帰還。それを心待ちにしていたフィデル・カストロの強い抱擁・・・
ゲバラが活躍した時代を記憶されているお客様が多いように、生き残ったゲリラ兵や敵として戦った政府軍もまだまだ健在の現在。私たちにとっては、幸いなことに多くの回想録が出版され、当時彼らが抱いていた強い闘争心や正義感などもリアルに近い状態で知ることができます。キューバを旅して、ゲバラに心動かされた方には是非訪れて頂きたい、ボリビアの「ゲバラ終焉の地」。その際は、「ゲバラ日記」などの文献が旅の見聞を何倍も広げてくれるでしょう。(三橋)

神様がいた、小さな村の教会(フランス)

2015年10月29日 カテゴリ: 西欧・南欧情報

先日、「絵のような風景」が広がる南西フランスから帰国しました。
今回はワインの里ボルドーから始まり、大西洋岸のバスク地方ビアリッツや
バイヨンヌを巡り、奇跡の泉ルルド、赤レンガで作られたバラ色の町
トゥールーズやアルビ、聖地コンクやロカマドゥール、そしてフォアグラや
トリュフの産地ペリゴール地方の小さな町々などを巡ってきました。

今回の旅は、訪れる町や村々の至る所で秋の到来を感じることができました。

朝の冷たい空気を吸い込んで見上げると、秋晴れのスカッとした青空。
街路樹のプラタナスやくるみの木は緑から黄葉にかわりつつあり、
足元を見ると栗のようにツヤツヤとした立派なマロニエ(西洋栃の木)の実が
ゴロゴロと転がっています。

さて、話は変わりますが、ペリゴール地方の小さな村、フランスの美しい村にも
認定されているカレナックを訪れました。
かつては水運で賑わったドルドーニュ川沿いの人口僅か300人ほどの小村です。

ステンドグラスの色彩が石床に映るカレナックのサン・ピエール教会

この日の朝に村を散策していて、ふと村の小さな教会に入りました。
堂内に入るとほんのり暖かく、ガランと静まりかえる堂内は薄暗く、誰もいません。
秋の穏やかな陽ざしがステンドグラスを通して石床に差し込み、
色彩も鮮やかに映っています。
冷たく固いはずの石床が次第に温かみを帯びて見えてきました。

小さな片田舎の教会なので、華美な彫刻や壁画、聖像などの装飾は一切ありません。

スッキリとシンプルな空間。余計なものは何も見えず、何も聞こえず、
優しい光が差し込んでいるのを、ぼんやり見ていました。

いつも私たちが観光で訪れる教会は、名の知れた立派な教会が多く、豪華な装飾で溢れる教会であったりします。
あっちの有名な彫刻、こっちのフレスコ名画、そっちの豪華な祭壇とあれこれ説明を聞いてキョロキョロしていますが、
この教会ではじっと前を向き、心を無にしてひたすら祈ります。

深い静寂に包まれた堂内(カレナックのサン・ピエール教会)

ふと、このような穏やかな空間の中でこそ、神様と繋がるような気がしました。
神様と向き合うべき空間は、こういう場所なのかも知れません。

今回の旅で訪れた小さな村々の教区教会はどこも地味ながら、
人々の日々の「祈りの空間」のような雰囲気があり、
静寂に包まれた堂内が印象的でした。(上田)

フランスの田舎町巡りのツアーはこちら

バスクの町を巡るツアーはこちら

ヨーロッパの秘境?スロヴァキアへの旅

2015年10月28日 カテゴリ: 中欧・東欧情報

ユーラシア旅行社のスロヴァキアツアー、タトラ山脈のロムニツキー・シュティート

先日、「タトラ山脈の麓、緑の大地スロヴァキア大周遊 10日間」のツアーから帰国しました。よく間違えられますが、“スロヴェニア”ではありません。1992年末までチェコと連邦共和国を形成していた、スロヴァキアです。国名に“スロヴァキア”とついたのは1918年。まだ100年弱の歴史で、それ以前の約1,000年はハンガリー王国の一部だったことはあまり知られていないのではないでしょうか。現在のスロヴァキアは、北海道の5分の3程の面積に約540万人が暮らす中欧の小国ですが、文化や歴史、自然などの見所がたくさんあります。ユネスコ世界遺産に登録されている場所を中心に、バスでぐるっと一周した今回の旅。なんとなく日本に似ているところや、日本との接点をいくつかみつけました。

まずはその国土。カルパチア山脈を背骨とする山がちな地形が広がり、森林も多い国です。今回は、山脈を形成するタトラ山脈の麓に宿泊し、国内第3位の高さの山、ロムニツキー・シュティートを訪問。早朝、麓からは朝日に染まる山頂がはっきり見られましたが、その後山頂に着いたときは残念ながらガスで真っ白・・・。しかし山は忍耐、ジッと待っていると一瞬で晴れて周囲の峰々が目の前に!そして、麓に広がる森林は少しずつ赤や黄に色づき始め、秋の日本を思わせる光景でした。

ユーラシア旅行社のスロヴァキアツアー、ヴルコリニェツの村

次に、タトラの山奥の村、ヴルコリニェツに残る伝統的な木造建築。屋根はこけら葺、外壁はパステルカラーですが、村の佇まいはさながら白川郷といった感じ。世界遺産に登録され、景観が大切に保存されていました。

旅では食も大切です。スロヴァキアは羊の飼育数が多いそうで、ラム肉や羊のミルクのチーズは美味。海がないので魚は主に川魚ですが、臭みはありません。いつもそこに添えられているのはライスです。パラパラしていますが臭いはなく、ソースとあわせて食べるとこれまた美味でした。おかずとしてではありますが、ライスをよく食べる習慣にも驚きです。

日本との接点としてご紹介したいのは、スロヴァキア人のレルヒさん。この方が日本にスキーを本格的に伝えたといわれ、1911年に現在の新潟県上越市で陸軍の軍人を相手に指導したのが最初とされています。時は流れて2014年、ソチオリンピックで銅メダルを獲得したスキー・ジャンプ/ラージヒル団体のメンバー、清水礼留飛(しみずれるひ)選手の名前はこのレルヒさんに由来するのだそうです。さらに、レルヒさんは新潟県のゆるキャラにもなっています。両名の今後の活躍に注目したいと思います。その他の有名人だと、一時期、日本のテレビコマーシャルによく出演されていたテニス選手のマルチナ・ヒンギスさんもスロヴァキア出身。その強さでも名が知れ渡ったのはいうまでもありません。

ヨーロッパとはいえ、まだまだ情報量が少ないスロヴァキア。周辺国と比較して観光客が少なく、あまり知られてないという点では、ヨーロッパの秘境といえるかもしれません。今回の旅でスロヴァキアのことをより知りたくなり、もっと日本との関係を探してみたくなりました。(江間)

本場のビール祭りを体感!ミュンヘンのオクトーバーフェストに行ってきました!

2015年10月27日 カテゴリ: 西欧・南欧情報

 

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先日、『ドイツ物語 16日間』の添乗より帰国致しました。このツアーは西から南、そして東へとドイツの主要な観光箇所を押さえつつ、観光客もまだまだ少ない隠れ家的な小さな町も丁寧に巡るコースです。日本よりも少し早く秋が訪れるドイツでは、黄葉が色付き始めた木々のコントラストが美しく、車窓からの景色もいつも以上に楽しむことが出来ました。そして、今回はこの時期に開催されるドイツの祭典オクトーバーフェストとローテンブルク秋祭りも訪れる特別日程でした。

 最近、日本でも至るところで開催されているオクトーバーフェスト。ドイツでも日本と同じように至る所でオクトーバーフェストが開催されていますが、その発祥はミュンヘンです。
 
 その歴史はもともと農民達の収穫祭だったものが、1810年に時のバイエルン王ルートヴィッヒ1世の婚礼祝いと重なり、その時に行われた競馬行事の後に開催されたビール祭りがはじまりとされています。この競馬会場は、オクトーバーフェストの発祥地としてその後の会場となり、なんと広さは東京ドーム9個分!普段は広大な空き地ですが、毎年10月になると敷地内に巨大なビアホールとなるテント式のレストラン、観覧車やジェットコースターなどの移動遊園地が出現し、大人だからこそ楽しめる巨大なビールのテーマパークのようになっています。

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当時の開催日が10月17日だったことから「オクトーバーフェスト」という名がつきましたが、200年経った現在では毎年、10月の第一日曜日が最終日となる9月からの約二週間の期間で開催されています。
 ビアホールの中では、1リットルの巨大なジョッキビール(飲めない方はリンゴジュースなどもあるのでご安心ください)を片手に、「ブロースト(乾杯)!」の声が響き、飲めや歌えやの大賑わい!最初は少し圧倒されてしまいましたが、南アルプス地方の華やかな民族衣装で着飾り、皆で肩を組み、歌を歌いながら陽気に歩いている姿を見ていると、こちらまでわくわくしてきました。お客様もお酒が進むにつれアルコールと会場の雰囲気に酔い、次第にオクトーバーフェストの楽しさを実感したようでした。
 
 そんな、オクトーバーフェストの会場の雰囲気にのまれて、ついつい進んでしまう食とビール。何と、期間中に訪れた640万人の人たちが消費するビールの量は750万リットルで丸焼きにされる鶏の数は46万羽、豚の骨付肉は5万8千個、丸焼きにされる牛は100頭、ソーセージの数は22万本にも及ぶとか。名実ともに世界一のビールの祭典でした。(三浦)

「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」での熱い夜(キューバ)

2015年10月23日 カテゴリ: 中南米情報

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先日、「カリブの楽園、キューバで過ごす休日 10日間」への添乗に行って参りました。今年の7月、アメリカとキューバは事実上国交を回復しました。長らくアメリカの経済封鎖を受け、自国の文化を風化させることなく保ってきたキューバ。スペイン植民地時代の雰囲気を残す旧市街、ミルキーグリーンのカリブの海と白い砂浜、ラテン系でノリの良い人々…。至る所で音楽が流れます。

旅のハイライトでもあった世界遺産ハバナ旧市街の観光の最終日、私たちは“ラ・ボデキータ・デル・メディオ”での夕食を楽しみました。ここはヘミングウェイが足繁く通っていたバーレストランの一つ。壁一面がこのお店に来た人たちのサインで埋め尽くされ、ヘミングウェイのサインも壁にかかっています。

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夕食を楽しんでいると、バンド一行が私たちの方に向かってきました。もしかして、この部屋でも…?と私たちがどきどきしていると、バンドの人たちは慣れた様子で、どんどん部屋に入ってきました。演奏ができるギリギリのスペースを確保すると、彼らは視線で示し合わせて演奏を始めます。耳が慣れてくるころには曲に合わせて思わず踊りだしたくなるようなリズムの良さ、ノリの良さ。「モヒート!」とお酒もすすみます。私たちの前での演奏が終わると、次は他の欧米グループを盛り上げ、そこの全員立ち上がって踊りだしていました。熱の冷め切らない私たちはその欧米グループを横目に名残惜しさを感じつつ、バーを後にしました。(長田)

ユーラシア旅行社のキューバツアーはこちら

黄金色に染まるコーカサス、ワイン収穫の時期に行われるアルメニア使徒教会の儀式

2015年10月22日 カテゴリ: 中欧・東欧情報

コーカサスツアー,コーカサス旅行
先日、「民族と文明の道 コーカサス三国周遊」の添乗より帰国致しました。コーカサス三国とは黒海とカスピ海の間の、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージア(グルジア)の三国のこと。今回訪れた9月後半は、ジョージア、アルメニアで山の木々が色づく時期で非常に思い出深い訪問となりました。
ジョージア軍用道路ではコーカサスの雄大な山並みが黄金色に染まり、雲に隠れて見られないことも多いカズベギ山(5,047m)も顔を出してくれました。山の上のツミンダ・サメバ教会、色づく木々、そして牛がフレーム内に収まるポイントで写真ストップ。
この時期はぶどう収穫の時期でもあります。ジョージアはワイン発祥の地。約8000年の歴史があります。 また、隣国アルメニアでも世界最古のワイン醸造所が近年発見されました。車窓からは収穫時期のぶどう畑の風景が続きます。
また、キリスト教の国教化に関してもその歴史は古く、アルメニアは世界で最初(301年)、ジョージアは世界で2番目(337年)。ローマ帝国のキリスト教国教化(392年)よりも古いのです。
世界最古のキリスト教国アルメニアの総本山、エチミアジン教会では7年に一度世界中のアルメニア使徒教会信者が詣でる儀式が行われます。幸運にも今年、2015年は、その儀式の行われる当たり年。儀式が行われるのはツアーが訪れた1週間後でしたが、普段は博物館のケースの中に納められている約200リットルの聖油壺が、本来あるべき主祭壇に据えられているところを見ることもできました。ワイン収穫の時期に大切な儀式が行われるのも、古くからワイン作りとキリスト教信仰が行われてきたアルメニアらしく、印象深いものでした。(尾崎)

組曲「展覧会の絵」の「キエフの大門」と、キエフの「黄金の門」(ウクライナ)

2015年10月21日 カテゴリ: 中欧・東欧情報

ウクライナツアー,ウクライナ旅行
先日、ウクライナのツアーより帰国致しました。
988年、ウラディミール大公によって東方正教会を国教にしたウクライナ。今でこそ国名を「ウクライナ」と言いますが、建国当時は「キエフ公国」の首都でした。キエフは現在のロシアから見た「キエフを首都としたロシア」、つまり「キエフ・ルーシ」の首都だったのです。13世紀に入り、モンゴル軍がキエフを支配するようになり、キエフ公国は滅びると、首都はモスクワ公国へ移転しました。現在のロシアの首都モスクワです。そう考えると、「ルーシ(ロシア)」の首都としては、キエフの方が200年ほど古い街だと言えます。
キエフの街を歩いていると、黄金のドームをいただくペチェルスカヤ修道院や聖ソフィア寺院から往時の繁栄を感じます。ペチェルスカヤ修道院の内部はフレスコ画やイコンに彩られ、人々の拠り所として信仰を守り続けてきたことが窺われました。また敷地は全長7kmもの壁に囲まれていて、その規模にも驚きです。
ウクライナツアー,ウクライナ旅行
さて、きっと誰もが耳にしたことがある曲、ムゾルグスキー作曲の組曲「展覧会の絵」の中の「キエフの大門」。キエフには今でも「黄金の門」が建っていますが、クラッシックファンなら、これが「キエフの大門」なのか気になるところです。実在する「黄金の門」は1240年もモンゴル来襲によって破壊され、1982年にその遺構の上を覆うようにして建てられたものです。「キエフの大門」はと言うと、1869年にハルトマンという建築家がキエフの門の再建コンペに応募した図案に由来しています。結局、キエフの門の再建計画は実施されないまま終わり、ハルトマンは亡くなりました。そしてハルトマンの友人であったムゾルグスキーが亡き友人を追悼するために作曲したのが、「キエフの大門」でした。現在の「黄金の門」と「キエフの大門」は直接の結びつきはありませんが、壮大なフィナーレのこの曲を聴くと、かつてのキエフの栄華と、ムゾルグスキーの悲しみの両方を感じます。これからも「展覧会の絵」を聴けば、古の都キエフが浮かんでくることになるだろうと思いながら町を歩きました。(斎藤さ)

幸せの国ブータンの深き信仰心を感じる旅

2015年10月20日 カテゴリ: アジア情報

 先日、「ヒマラヤの国、ブータンとシッキム王国・ダージリン12日間」のツアーから帰国しました。今回の旅は、インドのダージリン(西ベンガル州)から始まり、シッキム州を経て、ブータンへ向かいました。シッキムは、1975年にインドに併合されるまで、チベット仏教の国であったため、その影響を色濃く残していました。そして、国境を越えブータンに入り、そこでも素朴な祈りの風景に出会いました。

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 旅のハイライトでもあるタクツァン僧院は、ヒマラヤ地方に仏教を伝えたグル・リンポチェが虎の背中に乗ってこの地に飛んできたことが創建の由来となっている、由緒正しき僧院です。タクツァン=虎の巣の意味の通り、山の斜面に張り付くようにして造られたこの僧院への道のりは、さながらハイキングです。途中の展望台で休憩をとりながら、ゆっくり進みますが、山道を登り、階段を上り苦労してたどり着いた時の達成感は、ひとしおです。私でも、僧院にたどり着くのに一苦労だったのですが、驚くことに、子供連れでもこの僧院を訪問している家族もいて、彼らの厚い信仰心を感じます。

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 また、今回のツアーでは、ティンプー・ツェチュ祭も見学しました。このお祭では、チベット仏教の儀式や法要に基づいた舞が披露されます。この晴れの日のために、男性の民族衣装を「ゴ」、女性の民族衣装を「キラ」で最高に着飾ります。カラフルな民族衣裳の人々で埋め尽くされた会場で見る、極彩色の仮面で色鮮やかなお祭りは、ブータンの素朴なお国柄をあらわしていました。(坂田)
 

歩いて愉しむ知床の秋

2015年10月16日 カテゴリ: 日本情報

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先日「紅葉の世界遺産・知床を歩く4日間」より戻りました。東京より一足早く訪れる知床の秋。概ねお天気にも恵まれ、知床連山を臨みながら、海の景色、陸の景色とぎゅっと詰まった知床の大自然を満喫しました。希少な動植物の生息地となっていること、海から陸へとつながる生態系がわかりやすく見られること、そしてこれらを保全していくための管理体制が整っていることなどが評価され、知床が世界遺産に登録されて早10年。現地に精通したネイチャーガイドの案内を聞きながらこの地を歩くことで、その言葉の意味がなるほどと納得できるのでした。
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今回特に紅葉が美しかったのが、知西別岳(ちにしべつだけ)に抱かれた羅臼湖を目指す往復約6㎞のトレッキングコースです。ヒグマに出逢う可能性もあるこのコースでは、彼らの棲みかにお邪魔するという姿勢が大切。また、シーズンを通してぬかるみの多い登山道では、それを避けて歩いてしまうと登山道を広げ、道脇の高山植物を傷つけてしまうため、長靴が必須です。所々ズボッズボッと足を取られながら歩くと、途中の「三の沼」に、逆さ富士のように映る羅臼岳の姿。日本100名山のひとつでもある羅臼岳は知床連山の最高峰。今回はその頂上までしっかりと姿を見せてくれました。点在する小さな沼や湿地を抜け、紅葉・黄葉に彩られた知床最大の湖、羅臼湖の景色を目に焼き付けた後、登山道を引き返します。トレッキングの疲れも、温泉でゆっくりと癒していただきました。(川井)

日本の“普通”が通じない南エチオピアへ!

2015年10月15日 カテゴリ: アフリカ情報

ユーラシア旅行社で行く9月18日発「南エチオピア大縦断8日間」の添乗に行って参りました。今年、エチオピア航空直行便が日本に就航したり、エチオピアコーヒーメーカーの一つ「トモカコーヒー」が代々木上原に記念すべきカフェ第1号店をオープンしたり、某芸人さんがハマル族のブルジャンピングに挑戦したりと日本のメディアにも取り上げられ始め、知名度が徐々に浸透してきたエチオピア。
エチオピアは首都のアディスアベバを大雑把な起点として、北と南でガラリと雰囲気も暮らす人々の生活も異なります。南部に暮らす民族の人たちの中には、洋服を着用せず牛や山羊の皮で出来たスカートや上半身(ときには下も)は衣服を纏っていないスタイルで、電気・水道のない生活をしています。また一夫多妻制だったり、天下一武闘会(武器は木の棒)のような大会で一番強い男性が超絶にモテたりと私たち日本人の“日常”“一般”“常識”というものは、ことごとく通じない、まさに冒険をしているような地域が南エチオピアなのです。

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移動中の車窓の景色、民族の方たちの村、市場と食べ物など、どれもこれも珍しく、考えさせられたり、興味深いことだらけ。四駆による長い移動の多い南エチオピアでは、車窓から常に見かけるのは、水タンクを運ぶ人々。水道のない生活では、村指定の水汲み場で水を汲める指定の時間に合わせて並んでポリタンクに水を入れ、何キロも離れた自宅まで、主に女性が担いでいきます。朝と夕方には放牧地へ移動する牛や山羊たちと家畜を追う男性の姿。電線や電柱を見かけるのも大きな町の近辺だけ。エチオピアという国のイメージやアフリカという地域柄=食べ物に困っている先入観がありますが、ツアーで巡った湖周辺では綿花やバナナのプランテーションがあり、市場を巡ればジャガイモ、タマネギ、ニンニク、唐辛子、トウモロコシなどが売られています。エチオピアの国民食と言われるインジェラの原料となるテフは、北部では必ずと言っていいほど見かけますが、南ではあまり栽培されていないのでなかなか見かけず、高価な食物になります。その代りに南ならではの植物であるワサビノキ科のモリンガをよく見かけます。最近日本でもビタミンB、ビタミンC、プロビタミンA、β-カロテン、ビタミンK、マンガンなど栄養素が多く含まれたスーパーフードとしてお茶やサプリメント、美容クリームに加工されて売られています。市場では青々したモリンガの葉が山のように売られていますし、道歩く人々が担いで歩いていたり、村の畑や個人宅の庭に植えられていたり、現地の人たちの身近な植物で重要な栄養源なのだなと感じさせられました。私たちもツアー中に、ホテルのビュッフェで食す機会が何度かありましたが、苦みもなくホウレンソウのように食べやすく、私はたくさん食しました。(※繊維も豊富なので、食べ過ぎますと翌日お通じが良すぎるので注意です。)

Blog

南エチオピアでは、様々な民族の方たちと出逢うことも、目的のひとつ。ハマル族、ムルシ族、エルボレ族、ツェマイ族などなど、エチオピアには80以上の民族が暮らしています。民族ごとの衣装や慣習、生活、持ち物など様々な違いがあります。また暮らしの中心が農耕の民族の人々は穏やか、遊牧民だと積極的と気質も違う模様。カメラを向ける私たちへの写真を撮れ!というアピール度と積極性が高いのは奇抜な風貌で名高いムルシ族。しかし、最近は遊牧民ではないツェマイ族の村人たちもすごい度を越した積極的になっていたことには驚きで、これは時代の変化といったらいいのでしょうか・・・。民族の人たちに対面したとき、感じたのは、自然のなかで生きる人たちは、やはりしっかりしていて、強いなぁと。愛想笑いはなく、力強い視線。地に足をどしっとつけ、背筋がピンと伸び、男性は無駄な脂肪のない引き締まった身体、女性は肉付きがあり女性らしさを持ちながらも腕は引き締まっていて、自然と共に生きるたくましさを身体つきや雰囲気(オーラ)から感じ、惚れ惚れと見入ってしまいました。

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日本では、町全体で停電が起これば、臨時ニュース速報としてテレビ画面の上にテロップが出たりしますが、現地では電気が不足すれば、急な停電または断水が起こります。停電はいつも何時間くらい続くのか?断水はいつも平均してどのくらいで終わるのか?この質問に現地のホテルスタッフは首をかしげます。質問の意味がわからないのです。こちらの質問も現地の人に対してはあまりに日本人的な質問だったのです。現地ではよく停電、断水が発生しますが、それが現地での“当然”なのです。むしろちょっと町郊外に出れば電気・水道のない生活をしているところで、電気・水道は“当たり前”ではなく『超・特別』なものなのです。
便利な日本に暮らしていると南エチオピア滞在時には不便に感じられることも多々あるかもしれません。それでも帰国の頃になると、これらのことも現地の生活を体験できた旅の思い出の一つになっている、それが秘境南エチオピアなのです。

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