日付:2015年7月の検索結果

ハンザ都市、タリンの中世祭へ

2015年7月31日 カテゴリ: 世界のお祭り情報中欧・東欧情報

先日、「バルト三国とサンクト・ペテルブルク10日間」のツアーから帰国しました。10日間でリトアニア、ラトビア、エストニア、ロシアと4ヵ国を周る、見所盛りだくさんのツアーです。やはりバルト三国とまとめられてしまうことが多いですが、言語、宗教、民族とそれぞれ国ごとに異なり、それぞれに違った魅力があるのです。今の時期は気候も良く、夜は22:30くらいから暗くなり始めます。夕食を食べ終わった後にも街歩きができてしまうほど。

バルト三国ツアー、バルト三国旅行

今回はエストニアの首都タリン旧市街に位置するラエコヤ広場で行われる、タリン中世祭を体験できる日程です。ハンザ都市として繁栄した中世の雰囲気を肌で感じることのできる、タリンでも大きなイベントの一つです。2000年から始まり、今回で16回目。ラエコヤ広場というのは市庁舎広場という意味です。13世紀頃から、市場として機能し、この広場を中心に町が広がっていきました。14世紀半ばにはゴシック様式の市庁舎が建てられ、この広場のシンボルとなっています。

広場にはたくさんの露店が立ち並び、スタッフは皆、中世のコスチュームを身に着け、革製品や陶器、食品等様々なものを売っています。愉快に演奏をしている人の姿もあり、広場は本当に賑やか。全て見ようとすると、さほど広くない広場にも関わらず、ついつい足が止まってしまい、1時間あっても足りないかもしれません。

午後13時からは、オープニングセレモニーが始まり、旧市街の東門であるヴィル門から、ラエコヤ広場にかけてパレードが行われました。いろいろな動物をイメージした派手なコスチュームから、中世の騎士、貴族、市民等の衣装を身にまとった人々が、楽しげに列をなして歩いていました。

バルト三国ツアー、バルト三国旅行

ショッピングをするもよし、ワークショップで何か記念になる小物づくりに参加するもよし、その場の雰囲気にひたるだけというのもよいでしょう。

決して大規模で、且つ派手なお祭りではありませんが、タリンのこじんまりとした、旧市街に合っているとても素敵なお祭りでした。(荒川)

ユーラシア旅行社で行く、バルト三国ツアーの魅力

 

ソロモン諸島のガダルカナルで見つけた絆

2015年7月30日 カテゴリ: オセアニア情報

先日、戦後70周年の特別企画で、激戦地であったソロモン諸島のガダルカナルとパプアニューギニアのラバウルの戦跡を巡る旅、「さらばガダルカナル・ラバウル6日間」より帰国しました。

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栃木県程の大きさのガダルカナル島は、そのほとんどを密林のジャングルで覆われている常夏の島。島民は非常に素朴で、ゆったりとした時間の中でのんびりと過ごしています。その証拠に、私たちの乗った車が通る度、子供たちが手を振って駆け寄ってくれたり、道路わきの露店のお兄ちゃんが満面の笑みと共にバイバイしてくれたりするので、心が洗われました。ガダルカナルと言えば、日本軍の激戦の地として有名ですが、約70年前に、日本とアメリカの兵士10万人がこの島で戦ったのかと疑ってしまうほど牧歌的な雰囲気が漂っています。
太平洋戦争でのガダルカナル島の戦いでは、1942年夏~約半年の間に日本軍の兵力が約3万人投入され、2万人以上の兵が犠牲になりました。そのほとんどが飢えと病による死者で、日本軍がガダルカナルの奪還を諦め、撤退する際にも、(一人で歩くこともできない状態の兵士が多かったこともあり)多くの兵士が島に置き去りにされた等想像を絶する戦場となったのです。
ガダルカナルでは、あまりにも多くの日本人が亡くなったので、戦後70年経っても、遺族やその関係者の方が、足繁くこの島に訪れています。このツアーでは、日本軍の撤退の地「エスペランサ岬」にも訪れました。ここには碑が残されているのですが、日本人に心を動かされ、慰霊場所を掃除し保存状態を保つために様々な活動をしてくれている名物のおばあちゃんがいました。
彼女の名前はゴレティさん。私たちが訪問するとギターを片手に、日本語と英語のエスペランサ岬の解説のボードを持ってきてくれました。そのボードには以下のように記載がありました。
「当初、私は訪れる日本人に関心が無かったが、その様子を見ているうちに、友人である日本人にとってこの記念碑がいかに重要であるかを悟った。2005年、私と私の夫は、両親・親戚一同の同意を得て、この記念碑にささやかな修繕工事を行った。マリア・ゴレティとその家族から日本の友人へ わたしたちは、いつでも慰霊と観光であなたがたの訪問を歓迎しています。」
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彼女は周辺に住んでいる子供と一緒に日本語と英語を交えて、私たちに歌を歌ってくれました。その歌は、毎年この地域にやってくるJAICAの方に教わって覚えた歌だそうです。
今回の訪問で、数多くの戦跡を巡りましたが、それぞれの場所を守ってくれる現地人にたくさん出会いました。そして、改めて日本からはるか遠く離れたこの場所で、ソロモンとパプアニューギニアの絆を強く感じ、そして戦時中に生きた私たちの祖先に思いを馳せ、この悲惨な戦争を二度と起こさないよう、平和への願いがより一層増す旅となりました。(霍間)

パノラミックモンブランで行く!今年リニューアルオープンのエルブロンネ展望台

2015年7月29日 カテゴリ: 世界の自然情報

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先日スイスとフランスへの添乗に行ってまいりました。天気に恵まれ、ツアー中のヨーロッパ三大名峰である、モンブラン、ユングフラウ、マッターホルンを青空のもと見ることができました。その中でも印象深かったのはフランスのエギーユ・デュ・ミディ展望台から乗ることができるロープウェイ、パノラミック・モンブラン!モンブランやグラン・ジュラスなどの名峰を眺めながら氷河の上をロープウェイで渡るというもので、名前の通り絶景を味わえます。また、ロープウェイで移動した先にあるエルブロンネ展望台は今年の4月にリニューアルオープンしたばかりでした。

期待に胸を躍らせ、ロープウェイに乗り込むとそこからは真下に流れるジョアン氷河、右手にはモンブラン・デュ・ミディ、左手にはダン・デュ・ジョアン、その奥にグラン・ジュラスなどの名峰が様々に角度を変えて現れます。そして20分ほど乗り、イタリアのエルブロンネ展望台に近づくと、右手にモンブランが姿を現します。モンブランと言えば、ふわっと丸く雪をかぶり、なんともかわいらしい形をした山ですが、その山の形もイタリア側に行けば、少しとがった形に変化していきます。
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展望台に到着すると、階段があり、高山病にかからないよう注意しながらゆっくりと外の展望テラスへ。頂上の展望テラスからはモンブラン、ダン・デュ・ジョアン、グラン・ジュラス、そしてイタリアアルプスを360度パノラマで眺めることができます。そこからの山々の眺めは忘れられないものとなりました。(長田)

ユーラシア旅行社で行くスイスの旅はこちら

ブレスト要塞にて第二次世界大戦に思いを馳せる

2015年7月28日 カテゴリ: 中欧・東欧情報

 

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 先日、ユーラシア旅行社の「恋のトンネルも訪れる ウクライナ・モルドバ・ベラルーシ9日間」のツアーより帰国しました。今回訪問した地は、紀元前、黄金の民と呼ばれる遊牧騎馬戦士スキタイ人が駆け抜け、中世にはキエフ・ルーシ王国が広大な領土を誇った場所です。
 
 「ウクライナって、旅行に行っても大丈夫なの?」という質問を多くの方から頂きましたが、全く心配ありません。確かに、2014年にクリミア問題があり、クリミア自治共和国やその周辺、いわゆるウクライナの東側の地域は、外務省から渡航の延期が勧められています。しかしながら、当ツアーでは、ウクライナの中央部に位置する首都のキエフやオデッサより西側のみの訪問なので、街も人も穏やかで2014年以前と変わらない様子でした。
 
 クリミア問題を始め、幾多の争乱の舞台となったこれらの地域は、その地理的特徴から大国のはざまで苦難の道を歩んできました。今回のツアーでは、ベラルーシのブレストでそれを強く感じました。私たちがブレストを訪ねた日は、ちょうどベラルーシの独立記念日の7月3日でした。
 
 ブレストは、難攻不落の都市としてその名を轟かせていましたが、1941年6月22日、独ソ不可侵条約を破りドイツ軍がソ連に侵攻しました。その際、ブレストの要塞は激しく抵抗し、約1ヶ月もの間、戦ったそうです。要塞には「私は死ぬ、されど屈服せず。さらば祖国よ」というメッセージが残され、その戦闘の凄まじさを物語っていました。ブレストは、その後勇敢さを讃えられ、ソ連より「英雄都市」の称号が与えられたのです。今回、訪れたウクライナ・モルドバ・ベラルーシ等、旧ソ連の国々では、独立記念日はソ連からの独立した日を示すことが多いのですが、ベラルーシの独立記念日は、ナチス・ドイツ軍から解放された日なのです。私たちが訪問した際も、式典の準備が行われていて厳粛な雰囲気でした。
 
 日本と違って陸続き、西側諸国と東側諸国の狭間で、常に隣国との争いを続けてきた地、ブレスト。戦後70年の今年、この地を訪問したことで、改めて第二次世界大戦について考えさせられました。(坂田)

紫の絨毯が広がる風景~アイスランドのルピナス

2015年7月24日 カテゴリ: 世界のお花・紅葉情報

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先日、ユーラシア旅行社の「アイスランド・バス大周遊10日間」のツアーより帰国しました。

アイスランドは、面積10万3000km2 (北海道の1.3倍)、人口33万人の小さな島国です。一言で表すならば「火と氷の島」。現在でも200以上の活火山の活動が起こり、極北の自然環境から、欧州最大の氷河も有しています。また、世界平和度指数ランキングが世界第1位(2013年)と、治安の良さも魅力で、人も大変穏やかです。(ちなみにアイスランドでは、殺人事件が一年に一件起こるか起こらないかというぐらい治安が良い。) 

このツアーでは、リングロード(環状1号線)を通り、南から東、北へとアイスランドを周遊し、それぞれの地域で異なる風景を見る事が出来ます。氷河、湖、滝、間欠泉などの大自然に加え、ホエールウォッチングや天然温泉入浴などのアクティビティーもお楽しみ頂きました。

そして、今回のバス移動での車窓風景を彩ってくれたのが、ルピナスの花でした。東部を移動中、車窓に広がったのは一面に広がるルピナスの紫絨毯!日本でも庭園などで見る事は出来ますが、野生で、かつ広範囲に広がる様子を見る事は出来ません。草花に詳しいお客様もこれには大興奮でした!

木々が少ないこの地では、強風が吹くと、火山灰が道路に入り込み、それによって車がスリップしたり、道路閉鎖になったりと、しばしば問題になっていたそうです。その対策として、30年ほど前にアラスカからルピナスを移植したのが始まりだそうです。その後、荒れ地でも育つという生命力と繁殖力から数を増やし、特にここ数年、その繁殖区域が拡大し、既存の高山植物の生息を脅かすほどなりました。この増えすぎたルピナスに対する処置も検討されているそうですが、6・7月の短い夏に咲き誇るルピナスは、人々の目を楽しませてくれる貴重な風物詩です。(飯野)

ユーラシア旅行社で行くアイスランドの旅はこちら

世界三大瀑布ビクトリアの滝(ジンバブエ・ザンビア)

2015年7月23日 カテゴリ: アフリカ情報

先日、ユーラシア旅行社の「ナミブ砂漠と南部アフリカ5カ国周遊」のツアーから帰国致しました。今回のツアーではナミビア、南アフリカ、ザンビア、ボツワナ、ジンバブエの5カ国を巡りました。南半球にある南部アフリカは季節が日本と逆の冬。寒いイメージのないアフリカも涼しく過ごしやすい季節です。
雨季が終わったところの現在のビクトリアの滝は水量が増え大迫力の時期。ザンビアとジンバブエの国境に位置している、世界三大瀑布の一つです。現地の言葉ではモシ・オア・トゥンヤと呼ばれています。雷鳴轟く水煙という意味です。その名の通り、近くに行くと水が落ちる轟音と水煙の迫力を感じました。全身ビショビショになりながらも、もっと近くで見たいと不思議な引力を感じました。水量の多い時期だからこそ水煙がモクモクと立ち、それが太陽の光に反射して虹ができ、2重に虹がかかる場面に遭遇することも少なくありません。また、満月の夜は月の光で虹がかかる幻想的なルナレインボーも見られました。

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ビクトリアの滝は20万年前に台地の隆起により川から滝になりました。長い年月をかけて水が落ちる位置を変える、移動する滝なのです。今なお、新しい滝が出来る亀裂も見られ、これから何千年もかけて新しい滝が出来ることもあるそうです。昔、滝だった場所は、現在、渓谷になりジグザグに大地を分けています。そんな、地球の息吹さえ聞こえてくるようなビクトリアの滝を見て、地球の大きさを再確認してきました。(杉林)

ユーラシア旅行社で行く美しい英国の町々

2015年7月22日 カテゴリ: 西欧・南欧情報

先日、華麗なる英国紀行10日間の旅より帰国しました。
スコットランドから湖水地方、コッツウォルズ、イングランドと周遊してきましたが、それぞれの地域で異なる魅力に触れることができました。
幸い、雨に降られることはほとんどありませんでしたが、イギリスの気候は本当に変わりやすく、一日のうちに四季を味わうことができるというのは本当だったなあという風に感じました。
6月末、スコットランドでは少し肌寒さを感じることもあるくらいでしたが、イングランドは毎日晴れで、真夏のような暑い日が続きました。
スコットランドのエディンバラでは、ナポレオン戦争終戦200年記念の軍事パレードが行われており、見学する人でいっぱい!

ナポレオン戦争終戦200年記念の軍事パレード

鼓笛隊の作り出す大きな音と、凛々しい軍人さんの行列を少しだけ見学しました。
ところで、イギリスのたてものには、それぞれの都市、地域によって特徴があります。
エディンバラの街に建つ建物は、近くで切り出された灰色の砂岩が使用されており、かつてはこの建物が、暖炉や煙突の煙で真っ黒になっていたと言われています。
現在のエディンバラの街の建物は、灰をきれいに掃除してあるのですが、昔のまま、煙突のある建物がたくさん残っています。
煙突自体、今ではあまり使用することはありませんが、撤去せずに残しておいた方が、建物としての価値はあがるのだそうです。
灰色の街の中に建つ、洗練されたゴシック様式の大聖堂や、教会が、この街の風景ををより魅力的なものにしていました。
さて、雰囲気はまったく変わり、コッツウォルズ地方へ。
この地域の建物も、非常に特徴的なのです。
コッツウォルズの家々は、ウーライトと呼ばれる石で造られます。ウーライト、別名、ハニーストーン。
その呼び名の通り、はちみつ色をした石なのですが、比較的柔らかい石であるため加工がしやすいといわれています。
しかし、建築に使われて外気にさらされている間にだんだん固くなってゆくという、なんとも建築に適した石なのです。
この石を使って建てられた家々の並ぶ町並みは本当に温かみがあって素敵なものです。
さらにこの町並に、小川が流れて、緑がたくさんあって、人々は木陰で休むと。楽園のような場所が、このコッツウォルズにはあるのです。
イングランドで最も美しい村と呼ばれるバイブリー、コッツウォルズのヴェネツィアと呼ばれるボートン・オン・ザ・ウォーター。
全英一古い町並が残っているといわれているカッスル・クーム。どの村にも、それぞれ異なる魅力があって、どれだけ居ても飽きない、むしろずっとここでのんびりしていたい。
そんな風に思ってしまうような、素敵な場所でした。

ユーラシア旅行社で行く、カッスル・クーム

綺麗な青空の下、産業革命の舞台、ビートルズの生まれた街、リヴァプールも歩きました。
産業革命のさなか、多くの蒸気船がこの街にやってきて、世界中の都市との交易が行われたことを考えると、なんだかわくわくしてきます。
悲劇の豪華客船タイタニック号が誕生したのも実はこの街。私たちが今回泊まったホテル”タイタニック”も、古い造船所を改装して造られたものでした。
青い空、そびえたつ大聖堂。イングランド国教会のアングリカン大聖堂を訪れました。
非常に大きなゴシック様式この大聖堂、実はあの有名な英国の赤い電話ボックスの設計者が設計しているのです。なんだか不思議な組み合わせですね。
エディンバラは灰色の、古い味のある街並みをしていましたが、リヴァプールの街は、とにかく赤レンガ。
街を流れるマージ―川、たくさんの造船所の建物が。日本でいう赤レンガ倉庫といった雰囲気です。
でもここはイギリス。イギリスらしいモニュメントがたくさん並んでいます。

エルヴィス・プレスリーのポーズをするビリー・フューリーの銅像

ちなみにこの銅像はエルヴィス・プレスリーではなく、ビリー・フューリーです。
リヴァプールにはエルヴィス・プレスリーのポーズをした様々な歌手の銅像が設置されていて、探して歩くのもとても楽しそうですね。
そんなこんなで、イギリスの魅力を十二分に味わったツアーとなったのでした。(留置)

フランスの最も美しい村、コロンジュ・ラ・ルージュ(フランス)

2015年7月21日 カテゴリ: 西欧・南欧情報

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 先日ユーラシア旅行社の「南西フランス紀行10日間」の添乗より帰国致しました。今回はお天気にも恵まれ、雲一つない青空を毎日見ることができ、南西フランスの美しい風景に片時もカメラを手放すことができないほどでした。聖母マリアが出現したことで知られる聖地ルルドをはじめ、断崖絶壁に建てられたロカマドゥールといった巡礼地は、どこか厳粛な雰囲気に包まれており、熱心にお祈りをする信者たちを目にすることができました。また、「フランスの最も美しい村」に登録されている村々も訪れましたが、どの村も中世の街並みを残した可愛らしい風景で、一歩足を踏み入れるだけで、タイムスリップしたような気分でした。
 今回のツアーで一番印象に残ったのはコロンジュ・ラ・ルージュです。とても小さな村ですが、赤い街並みが可愛らしい、どこをとっても絵になる村です。この村の魅力を引き出す赤い建物は、この地域の近くでとられる赤い砂岩を使い、石を積み上げて作ってあります。さらに家の前に並ぶきれいに咲いた花々がより一層村を鮮やかに彩っていました。現在これらの建物の中は、レストランやカフェのほかに、この地域の名産のクルミ製品やフォアグラなどを取り扱うお店になっており、店員さんもとても親切におすすめ商品を紹介してくれました。村の雰囲気を楽しみながら散策していると時間がたつのを忘れてしまいます。
 余談ですが、コロンジュ・ラ・ルージュは「フランスの最も美しい村協会」が発足した村でもあります。そもそも、美しい村に登録される為にはどのような条件があるのでしょうか?
1、人口が2000人以下であること
2、村の道路(インフラ)の完備
3、電線地下埋め込み式であること
4、歴史資源が2つ以上あること
5、村の建物保存及び、外観の均一性の維持
少なくともこれらの条件を満たしている必要があります。1982年から設立されたこの協会は年々登録数を増やし、今ではフランス全土で150以上の村が登録されているとのことです。今や昔ながらの町並みを残した小さな村も、壮大な教会建築などの有名な観光地にも引けを取らない立派な観光資源です。フランスの素朴な魅力を堪能するのであれば、小さな村めぐりは欠かせません。(市川)

独立から13年 2015年の東ティモール

2015年7月17日 カテゴリ: アジア情報

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先日、ユーラシア旅行社で行く「東ティモールとインドネシア・ロンボク島の旅8日間」へ行って参りました。
東ティモールとは、正式名称“東ティモール民主共和国”、2002年5月20日に独立した21世紀最初の独立国です。どこにあるかというとインドネシアのバリ島から東へ飛行機で約2時間のティモール島の東に位置する国。日本のメディアでは、なかなか目にすることもなく、話題に挙がることもない、比較的日本に近い場所にあるのに情報のあまりの少なさから遠い国・遠い存在に思われます。更に歴史を調べれば近代においての虐殺を伴う紛争があったことが出てくるので“怖い国”“危ない国”という印象をもたれてしまいます。
果たしてそのイメージは正しいのかどうか、観光設備などはどの程度、整っているのかなどを含めて現地のことをお伝えしたいと思います。
東ティモールへの移動は、日本からの最寄として今回インドネシアのバリ島から空路で行きました。到着すると田舎の空港さながら機材からタラップにて地上に降り、建物に向かって歩いていくと、迷うことなく入国査証代を支払う窓口へ。ちゃんと値段表も窓口に張ってあり一目瞭然、分かり易い♪支払い後、受け取った査証シールとパスポート、入国カードを持って行けば、ようこそ東ティモールへ!無事に入国完了。空港から市内までの道路は、各国の支援を受けてか綺麗に舗装され、川に架かる橋も立派な鉄筋コンクリート。2012年にオープンしたショッピングモールを通り過ぎ、ポルトガル通りという植民地時代の名残を思わせる海沿いの道へ。この通りは別名“大使館通り”。マレーシア、メキシコ、アメリカ、ポルトガル、オーストラリア、タイ、韓国、中国そして日本!と各国の大使館を次々と目にしていきました。街の中心に着くと国会に大統領官邸、EU(外壁にはECの文字)の建物、国立ディリ大学に私立大学。また中国人街もあり、主にマカオ出身の人が多いとか。マカオもかつてはポルトガル植民地であったからだそうで、東ティモールとの共通点がこのようなところにあることに面白さを感じました。立派なサッカー場もあり、東ティモールでも少年たちの好きなスポーツはサッカーとのこと。スポーツと言えば、東ティモールの首都ディリ滞在中によく見かけたのはランニングをする人たちでした。観光で訪れている外国人から現地の人まで。海沿いのプロムナードや夕方観光で訪れたクリストレイ(丘の上にあるキリスト像)への500段階段でもよく見かけました。2012年のロンドンオリンピックでは東ティモールの選手が出場した唯一の種目はマラソンでしたし、同年にディリマラソンも行われており(日本からはスペシャルゲストとして有森裕子さんも出場されました)、密かなマラソンブームなのかなと思わせる印象深い光景でした。
今回宿泊したホテルは、ホテル・ティモールでした。国会まで徒歩5分ほどで海沿いのプロムナードも近い場所でした。ホテルにはカフェが併設され、ホテル宿泊者以外からもお茶を飲みにだけ訪れる人がいました。2012年のときは、さびれた昭和の雰囲気があったホテルがリノベーションされ、スタイリッシュな内装になっていました。

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レストランは、インドネシアや中華・タイ系の料理に東ティモールの食材を使ったもので東南アジア諸国の料理とほとんど変わりなく、食材も新鮮な為か美味しく、お客様にも好評でした。新しいスーパーでは、欧州製品のお菓子やアジア諸国からの製品が並び、東ティモール産のコーヒーや胡椒、塩も売っていました。クレジットカードは使えませんでしたが、米ドルが一般通貨なので、あまり不便はありませんでした。(※1米ドル未満は現地硬貨を使用しているのでコインコレクターにはたまらない?)

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町中の雰囲気はというと、ずばり“穏やか”。朝に夕に海沿いのプロムナードを散歩していると、友達や恋人同士が楽しそうに幸せそうに歩き、道沿いで果物など売る人はのんびりお客を待ち、数人で集まっていた少年たちは海に沈む夕日を眺めながらおしゃべりをしていました。慌ただしい様子もなく、ぴりぴりした空気も物々しさもなく、ただそれは当たり前の『平常』というものでしたが、それがここでは当然のものではなかったときがあり、長年、人々が望んでいたものでした。それを思うと心の底から、この光景を目にしてよかったなぁと思わずにはいられませんでした。
1975年ポルトガルからの独立を宣言した直後にインドネシア軍による侵攻、そしてインドネシアによる一方的併合、それに反対する人々は強制連行され、拷問、虐殺されました。ここで起こっている出来事は一部の支援国や支援者を除き、世界から黙視され続け、東ティモールの人々は地獄のような年月を送ってきました。1999年に行われた独立の賛否を問う直接投票選挙では、約91%の投票率のなか約78%が独立を支持したことに対し、インドネシア軍と民兵による首都ディリへの侵攻と虐殺もありました。1975年と1999年の2回ともにディリの大半が壊滅させられました。2002年の独立後も10年間は混乱を繰り返しながらの新しい国づくりでした。しかし2012年が節目となりました。この年に実施された大統領選挙後に問題が起こらなかったことから、国連により設立されたUNMIT(国連東ティモール支援団)が撤収し、日本のPKOも任務を終了しました。これが意味したことは、もう外部からの平和維持の手助けなく、自国の力でやっていけるという証明でもありました。それが改めて証明されている穏やかな現実の光景を目にし、私は非常に感動してしまいました。

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東ティモールの観光では、いくつかの主要な教会を訪れました。東ティモールでは99%の人々がキリスト教徒(主にカトリック)です。ポルトガル統治下の名残でもありますが、先の悲惨な時代、インドネシアが現地語(テトゥン語)を使用することを禁じたときも、ミサはテトゥン語で行い続け、軍に追われる人々を教会がかくまったり、逃げ場として受け入れたり、まさに人々と文化の両面を守ってきました。世界から黙視されていたときも、当時の法王ヨハネ・パウロ2世はインドネシアの行動を非難してきました。東ティモールの人々がキリスト教を信仰する心は、実際に教会や宗教が彼らを心身共に守ってきた体験を経ているので、非常に篤いものなのだろうなと勝手ながら感じたりもしました。
ガイドさんは「ディリは何度も廃墟になって古い観光名所など全然残っていないけれども、自分たちにはいま平和と自由がある」と幸せそうに話してくれたことが印象的でした。東ティモールが国として観光に力を入れ始めたのは昨年からだそうです。ガイドさんは「いつか自分は観光大臣になりたい。」と語ってくれました。彼にとって日本人の団体は初めてだったので(いつもはオーストラリアやシンガポールの団体)、どうしたらいいか、どうやったらうまくいくかをいつも気にしていました。最近では、大型豪華客船がディリ港に寄港しました。東ティモールの国の発展に伴い、観光化もしていくでしょう(※ちなみに東ティモールの海は、どこも綺麗でした!いまならまさに手つかずの美しい海水浴を楽しめますよ♪)。

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東ティモールの話題は、日本に徐々に耳にする機会も増えてくるでしょう。百聞は一見にしかず・・・とはいえ、すぐに東ティモールを訪れるのは難しいかもしれませんが、まずはこの平穏の中、発展している国だということを知って頂きたいなと思いました。

今回のツアーで、いろいろ現地の情報を頂きました『日本東ティモール協会』のホームページも是非、訪れてみて下さい。もっと身近に東ティモールを感じられると思います。(高橋)

>>>ユーラシア旅行社で行く東ティモールのツアーはこちら

マッターホルン初登頂150周年を迎えて(スイス)

2015年7月16日 カテゴリ: 世界の自然情報西欧・南欧情報

スイスツアー

 先日、「スイス二大鉄道とヨーロッパ三大名峰の旅」より帰国致しました。ツアーでは世界遺産の鉄道路線を走る、氷河特急とベルニナ線に乗車し、そして、ヨーロッパ三大名峰であるモンブラン、ユングフラウ、マッターホルンをそれぞれの展望台や麓の町から眺めるという、スイスの見所を巡りました。どの観光地もそれぞれに魅力がありましたが、私はその中でもマッターホルンの麓の町・ツェルマットが特に印象に残りました。

 実は今年2015年はマッターホルン初登頂150周年にあたります。19世紀始め、登山家達がスイスアルプスの名立たる山々を登頂していきましたが、マッターホルンはその切り立った姿ゆえに、登ることができないと考えられていました。そんな中、イギリスの登山家で当時25歳のエドワード・ウィンパーらが1865年、マッターホルンの初登頂に成功。下山時にはお互いを繋いでいたロープが切れ、ウィンパーを含む7人のうち4人が転落し、亡くなってしまうという悲劇も起こりましたが、現在でもウィンパーはマッターホルン初登頂に成功したとして称えられています。
 そんなウィンパーがマッターホルン登山前に滞在していたという麓の町、それがツェルマットです。彼が滞在していたホテルにはそのレリーフが残り、また、街の博物館にはその初登頂の記録が残されています。しかし、何といってもツェルマット最大の特徴は、町の至る所からマッターホルンの姿が見えるということ。天候がよければ、朝方、日の出の光を受けて山頂が徐々に赤く照らされていくマッターホルンの姿を眺めることができるのです。
 そんなツェルマットは今年マッターホルン初登頂150周年を迎え、その記念すべき年を迎えるべく、町全体が例年より賑わっているように感じられました。列車でツェルマットを訪れた私たちを迎えてくれたのは、駅前広場に置かれた、マッターホルンの形を模した三角錐型のモニュメント。そこにはマッターホルンが初登頂された7月14日までのカウントダウンを秒単位で数える時計が設置されていて、町の人がその瞬間を心待ちにしていることが伝わってきます。また、町の至る所に150周年のロゴが貼られ、土産屋ではそれにあやかったグッズも売られていました。中でも私が面白いと感じたのは、町のパン屋が売り出していたマッターホルン型をしたチョコレートです。150周年記念として作られた訳ではなく、以前から売られていたものですが、今年は記念の年ということもあり、その売れ行きは例年よりも好調な様子。お店の方が「どれにしようか迷っているの?だったらこのチョコレートはどう?マッターホルンはね…」と落ち着いた口調でありつつ、情熱的に観光客に話しかけていたのが印象的でした。
 その他、ツェルマットではたくさんのイベントも予定されているとのことで、今年はますます多くの観光客が訪れそうな予感を感じさせます。普段は静かな山麓の町・ツェルマット。しかしそこには、マッターホルンに情熱を捧げ、そして、愛情を持った温かい人々がいらっしゃいました。(越野)

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