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大西宇宙飛行士の旅立ちをお見送り!ソユーズロケット打ち上げ生見学(カザフスタン)

2016年7月29日 カテゴリ: 中央アジア・シルクロード情報

2016年7月7日7時36分 ソユーズロケット打ち上げ
2016年7月7日の七夕の朝、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から、宇宙飛行士3名を乗せたソユーズロケットが打ち上がりました。日本人宇宙飛行士の大西卓哉さんが搭乗していたこともあり、今回の打ち上げは日本でも大注目でしたが、この打ち上げを宇宙基地で見学する「宇宙基地バイコヌール ソユーズ打ち上げ見学」のツアーが実施され、先日無事に見届けて帰国しました。

今回のツアーは発表から2度の延期を経ての出発。皆様、否応なしに打ち上げへの期待は高まっていました。私自身はというと、正直、これまで宇宙やロケットに関心はあまりなかったのですが、行くならば最低限の勉強はせねばと筑波宇宙センターへ見学に行ったところ、解説の方のお話にすっかり魅了されてしまい、にわか宇宙ファンになったほどです。人間、いつ、どんなタイミングで新しい物事に関心が湧くかわかりません。

ツアーは7月5日に日本を出発して中央アジアのカザフスタンへ。7月6日の夕方にバイコヌールへ入ると、砂漠の中の小さな町は、打ち上げを見学に来た人や各国のメディア、関係者の人々ですでに賑わっていました。外国人だらけです。とはいえ、すれ違う日本人はメディア関係者が多かったように思います。

打ち上げへ当日、本番へ向けてのカウントダウンは6時間前から始まります。今回の打ち上げは現地時間7時36分でしたので、逆算すると1時36分。それに合わせるために、ホテルを出発したのは0時30分でした。この先は決められた時間通りに進んでいくので、事前に時計の時刻合わせは必須です。

打ち上げ6時間前 コスモノートホテルから出発のお見送り

<打ち上げ6時間前-お見送り>
ホテルを出発し、まずは町中にあるコスモノートホテルへ。ここは宇宙飛行士たちのバイコヌールでの滞在場所であり、訓練所でもあります。その為、一般人は入れません。打ち上げ6時間前の1時36分、3名の宇宙飛行士がホテルから出発して基地へ向かう“お見送り”です。ホテルを出て、手を振りながらバスに乗り込む彼らに声援を送ります。
バスを見送ったあと、おまけで、ホテルの敷地内にある“宇宙飛行士の並木道”へ。これまで、ソ連・ロシア製のロケットに搭乗した宇宙飛行士たちは、飛び立つ前にここに植樹をするのだそうで、数日前、大西さんたちが植えた苗木も見つけました。七夕だからでしょうか、短冊もついていて「ミッション成功祈願」と書かれていました。もちろん、この並木道には、55年前にガガーリンが植えた木も堂々と立っていました。
その後、私達も車に乗って、町から約40km離れた宇宙基地へ。打ち上げまでの時間を利用し、基地内の博物館を見学します。ソ連時代からの宇宙開発に関する資料や、ロケット模型、ガガーリンを筆頭とする宇宙飛行士たちのサインやパネル写真などなど、どれも見ていて飽きません。

打ち上げ3時間前 バイコヌール宇宙基地内での出発式

<打ち上げ3時間前-出発式>
打ち上げ3時間前が近づいたので、基地内の“254番ビルディング”へ。3時間前の4時36分、宇宙服に身を包んだ宇宙飛行士たちの“出発式”です。ロシア宇宙局の偉い人に一言挨拶し、バスへ乗り込んで行きました。これを終えると宇宙飛行士たちはいよいよロケットへ移動し、乗り込むこととなるので、私たちが彼らに直接声援を送れるのはこれが最後。大西さんは3人の中で一番ガッツポーズをしていて、並々ならぬ意気込みを肌で感じることができました。

打ち上げ間近のソユーズロケット

<打ち上げへのカウントダウン>
夜が明けた6時頃、私たちは早々に打ち上げ見学ポイントで待機することにしました。今回のソユーズ打ち上げは、基地内の“1番発射台”から。55年前、ガガーリンが乗ったボストークの打ち上げにも使われた由緒ある発射台です(55年も使われていることに驚きました)。見学ポイントまでは、僅か1.4km!肉眼でもソユーズの姿が良く分かる距離です。待ち時間を利用して、カメラの望遠を調整したり、試し撮影をしたり・・・。周りでは各国のテレビクルーが中継のリハーサルをしていたりもします。お互い、準備に余念がありません。
打ち上げ30分前。ソユーズロケットを覆うように支えていた支柱が外され、全容があらわになりました。もうあそこには3人の宇宙飛行士が乗っているのかと思うと、不思議な感じです。
打ち上げ20秒前。いよいよエンジン点火!ここからはもう目を離せません。湧き上がる煙の勢いがどんどん増していきます。まだ最大出力ではないので、この時点ではそれほど音はしません。

<7時36分41秒 打ち上げ>
エンジン点火の合図があったとはいえ、それは突然でした。バリバリバリバリッという耳をつんざく轟音と、全身を大きく震わす振動を感じた瞬間、ソユーズはすぅっと空に向かって真っすぐに上がっていきました。男らしい爆音と振動とは反対に、雲ひとつない空に上がってゆくソユーズのシルエットには女性的な美しさが感じられ、それは生で打ち上げを見たことで初めて知る感動!一方、あんな乗り物(?)に、人間が乗っているということがにわかに信じがたいくらいの衝撃もあり、色々な感情が一気に襲ってくる不思議な体験でした。開いた口が塞がらない、想いが言葉にでない、まさにこういう時のことを言うのだと。

51時間後、ソユーズは無事に国際宇宙ステーションにドッキングし、大西宇宙飛行士の活動も本格的に始まりました。打ち上げを見送った瞬間から、もうなんだか“知り合いが宇宙に行った”ように勝手に思ってしまい、日々、活動に注目しているのは言うまでもありません。「一生に一度の体験」と思い、かの地に出かけましたが、早くも次を見たくなっています。人生に、新しい世界が広がったような気がします。(江間)

リゾートだけじゃない?!インド洋に浮かぶ知られざる国コモロへ(インド洋周遊)

2016年7月28日 カテゴリ: アフリカ情報

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 先日、「インド洋4ヵ国大周遊 12日間」のツアーより帰国しました。インド洋の貴婦人、インド洋の楽園、インド洋の宝石・・・。インド洋の島々本来の魅力でもある青く輝く海の美しさはもとより、どの代名詞も気品の高さが感じられ、何かの魔法にでもかかったかのように惹きつけられる。今回の旅では、モーリシャス、コモロ、レユニオン、セイシェルを周遊しましたが、それはモーリシャスのどこまでも広がるサトウキビ畑や、フランス海外県でクレオール様式の建物が印象的なレユニオン、手つかずの自然、聖書に書かれた楽園のような椰子の森が残るセイシェル。とリゾートだけに終わらないインド洋の旅となりました。その中でリゾート?とは少しかけ離れた国があります。あまりと言うか、むしろ知っている人はかなり通ではなかろうかインド洋の知られざる国、コモロ。個人的には一番印象深かった国でもあります。
 モザンビーク海峡の入り口に位置するコモロ諸島は海底の火山の爆発から長い歳月のもと海上に隆起した火山島。ヨーロッパ人が来るよりずっと昔からインド洋に半年ごとに吹く季節風を利用してアラビア、ペルシャ、インドと東アフリカ海岸の交易が行われていました。いつしかそこには居留地が生まれ、新しい共通語、スワヒリ語が成立。その後、ポルトガルやスルタンの支配、フランスと長い歴史の曲折を経て今は3つの島から構成されている独立国です。しかし、インド洋には数々の高級リゾート地があるにもかかわらずコモロは独立後に多発したクーデターや独立問題など内政の不安定さなどが観光客の足を遠のかせてしまいました。では実際訪れてみるとどうでしょう。確かに道路は穴ぼこだらけでガタガタ。博物館へ行っても電気がつかない。(電力不足もあるが電球も入っていなかった)これが目玉だ!!と言うハイライト的なものがあるわけでもありません。ですが、現在は政情も安定し治安が良いことは街を歩いてみればわかります。観光化されてない分、彼等の普通の生活を垣間見られる。一仕事終え獲れた魚を吟味したりお喋りに夢中な漁師さん達や、いつも賑やかな青空市場では、ここにないものはない、とばかりに野菜から肉から日用品まで何でも売っています。驚いたのはたまに見かける白塗り(黄色?)した女性たち。これは樹木を乾燥させ粉末状にしたものに水滴を加えたもので日焼け止めにもなれば美顔効果があるのだとか。そんな話を聞きながら歩いているだけで色々な発見が楽しめます。そして子供達だけでなく大人達までもが笑顔で迎え入れる。。素朴でのんびりした空間。これがコモロの魅力ではないでしょうか。それともう一つ!
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 コモロは絶滅したとされていた生きた化石、シーラカンスを今日に残す国。きっとこののんびりとした時間の中、深海でひっそり生きていたのですね。
(深い海に生息するシーラカンスはその水温と水圧の違いから水族館などで生きるのは難しい。コモロの首都、モロニの博物館でシーラカンスの剥製を見て頂くことが出来ます。)(岩間)
※現在、インド洋にご案内するツアーはございません。次回は2017年発表予定です。

バスク地方、一味違う、スペイン・フランス

2016年7月27日 カテゴリ: 西欧・南欧情報

先日、スペイン・フランスのバスク地方を巡る12日間のツアーより帰国しました。北スペインからフランスへ国境を越え、南フランスのバスク地方の村や町を周って、北スペインバスクを周遊するというちょっとマニアックなコースです。スペイン・フランスにまたがるこの地域には、バスク人という人々が住んでいるのですが、このバスク人、非常に変わった人々なのです。まず、話されている言葉。バスク語という言葉なのですが、スペイン語ともフランス語とも似ても似つかない不思議な言葉です。ヨーロッパ系のどの言葉とも系統が違うのだそう。じゃあどこの言葉と同じ系統の言葉なの?となるのですが、なんとまだわかっていないのです。言語系統不明。そんな言葉を話すバスク人、ヨーロッパの人々のなかでも最も古い時代から生きているという説もあるほど。このような独特な人々が、言葉も風習も違う、スペイン人とフランス人の間に挟まれて、時には支配され、迫害されながらも(ゲルニカの爆撃は有名ですね)、現代に生き残ってきたわけです。
ゲルニカ
彼らの辿ってきた歴史は非常に複雑なのですが、現在、バスク地方の街々は非常にユニークな発展をとげていて、面白いです。近年特に有名なのは、サン・セバスチャンという、ビスケー湾沿岸の街。世界中から注目されるこの街、一体何故有名になったのでしょう。特に大きな観光の目玉もない、人口約20万前後の小さな街なのですが、なんとこの街は、世界一の美食の街として注目を集めているのです。人口一人当たりのミシュランの星の数、という統計があるのですが、その星の数がなんと世界で断トツの1位。英国の「レストラン誌」による世界のベストレストランのトップ10のうち、なんと2軒がこのスペインの片田舎の小さな街にあるのです。そして、星付きレストランだけでなく、街にたくさん並ぶバルや小料理屋のレベルも非常に高い!どこに行っても大体すごく美味しい!
一体、なぜ、そんなことになったのか・・・簡単にいうと、この街に住んでいた若者たちが、古くから根付く徒弟制度を捨て、師の技を見て学ぶのではなく、互いに良いことや料理の秘訣どんどんを教え合い、厨房とは別に料理研究所なる施設を設け、そこで研究に研究を重ね、美食クラブという女人禁制の料理クラブで更に磨きをかけ・・・町全体の料理のレベルを上げていったということなのだそう。他にもたくさん理由はあるようです。ビスケー湾で取れる新鮮な魚介類だったり、フランスの美食、ヌーベル・キュイジーヌの影響を受けやすい場所柄だったり。ともあれ、この街ではヌエバ・コッシーナと呼ばれる新しい料理がどんどん発展してゆきます。マドリッドで生まれ、この街で発展を遂げている分子料理という分野では、食べ物の状態を元素記号で書き記します。気体はOで液体はLで、それと足すのか、混ぜ合わせるのか…なんだか頭が痛くなりそうな話ですが、実際に、料理を科学分野のようにとらえてまるで科学実験のように組み合わせてみたり、世界各地に飛び散ったサン・セバスティアンのシェフが、世界各国の美味しい料理を学んで、それを自分たちの料理の中に取り入れてみたり。とにかく、現代の料理に革命をもたらした街なのです!
サン・セバスティアン
さて、美食云々と言いましたが、大衆食堂やバルの料理もおいしいサン・セバスチャン。小さなバルがたっくさんあります。それがまあ、美味しい美味しい。それぞれの店に名物ピンチョ(串にささったおつまみ)があり、ここもあそこもと歩き回っていると満腹なのも忘れて食べ歩いてしまいます。美味しいピンチョに合うのが、バスク地方の地ワイン、チャコリ。微発泡性の白ワインで、バルにいってチャコリくださいというと、お店の人が高い所から細い滝のようにグラスにチャコリを打ちつけてついでくれます。これがまあ、さっぱりして美味しいこと!アルコールに弱い方にはシードルというリンゴ酒もお勧めです。酔っ払い、食べ過ぎ注意。でもほろ酔いでビスケー湾沿岸を歩くのも心地よい!美食を観光資源にしよう!ということで見事世界中に注目される美食都市となったサン・セバスティアン。目のつけどころが違いますね。
そんなサン・セバスティアン以外にも、目の付け所が違う!と驚かされる街が、まだバスク地方にはあるのです。その名もビルバオ。この街はバスク地方の玄関口で、大きな国際空港があります。私たちの旅のスタート地点もここからでした。ここからぐるっとフランスの方まで行き、最後にまたビルバオに戻ってきて観光をしたのですが、ここもまた、非常にユニークな町なんです。20世紀初頭、鉄鋼業で栄えていたこの街は深刻な環境汚染に悩まされていました。川は汚れ、街も薄汚く・・・そんな状況を打開するために街が打ち出した方法は、なんと、現代アートの巨大な美術館を建てる!というもの。バスク州政府が、ニューヨークのグッゲンハイム財団に、この街に美術館を建てることを提案し、フランク・O・ゲーリーという世界的に有名な建築家が設計を担当し、ギラギラでぐにゃぐにゃの建物を建てました。
グッゲンハイム・ビルバオ美術館
この美術館を建ててから、町にはたくさんの人がやってきて、観光業が栄え、荒廃した街の整備をすることができ、そして更に、現代アートのモニュメントや、近代的なビルディングを建てていく余裕ができてきたのです。ちなみに、グッゲンハイム・ビルバオ美術館の設計者の選出コンペには日本人建築家の磯崎新も参加しています。実際にグッゲンハイム美術館にも入ってきました。中にも不思議な展示物がたくさん。作品の中に見学者が入っていって、その中で見学者が持った感情が作品のコンセプト・・・なんて面白いものもあります。入口の犬のモニュメント、パピーもお花満開でとても可愛らしかったです。
そしてこのビルバオ、アートだけではなく美食レベルの高い街です。この街にも美味しいバルや三ツ星レストランがあります。今回はツアーでアスルメンディという三ツ星レストランに行きました。
三ツ星レストラン、アスルメンディ
まさにこのツアーの目玉なのですが、非常に面白いレストランでした。パッと見、どうやって食べればいいのか迷うような料理がどんどん出てくるのですが、ちゃんと店員さんが食べ方を教えてくれます。約4時間近く、次々と出てくる不思議な料理に舌鼓。バスク地方が最先端を走る、ヌエバ・コッシーナ(新しい料理)を楽しみました。(留置)

山の国スイスで楽しむ、エメラルドグリーンの湖クルーズ

2016年7月26日 カテゴリ: 西欧・南欧情報

クルーズ船からの風景

先日、「氷河特急一等車で行く、スイス2大鉄道とヨーロッパ三大名峰の旅 9日間」のツアーから帰国いたしました。春のスイスは空気も澄み渡り、山間にあってまるで箱庭のような可愛らしいツェルマットの町からは、雄大なマッターホルンの姿をくっきりとみることができました。

今回のツアーでは、アイガーのお膝元として観光客が絶えないグリンデルワルドへの玄関口となっているインターラーケンの町からブリエンツ湖のクルーズにも出かけました。エメラルドグリーンの湖を進むと、波止場が近づくごとに小さな村が見えてきます。

船着き場を中心に密集する家々

谷の部分にある湖岸からはすぐに斜面が始まるため、家々は山の斜面に張り付くように点在し、まるで村は縦に延びているように見えます。ほかにも、春の雪解けを迎え迫力が増した滝や、凛とたたずむ古城など絵画のような風景が続きます。リバークルーズは近年一般的になってきましたが、スイスのクルーズの魅力はやはりその水の色。このエメラルドの湖面は、何千年もの年月をかけて空気と一緒に不純物が押し出され、圧縮された氷河が溶けたことでこれほど美しい色を出しているのです。

この湖に蒸気船が走り始めたのは1850年代。インターラーケンのあるホテルのオーナーが、もっと町に長く滞在してもらおうと蒸気船観光を発案したのが始まりです。同じ時期にスイスに導入された鉄道と共にアルプス観光の足となりますが、やがて鉄道の圧倒的な輸送量に押され移動手段ではなく乗船自体を楽しむ遊覧船としての性格を強くしていきました。

山の印象が強いスイスですが、フランスとの国境にあり湖畔がリゾート地として名高いレマン湖や古都ルツェルンの防衛上も重要だったルツェルン湖など、多くの湖を有しています。厳しい冬の間は雪のために道路が閉ざされることも多い山がちな地形だからこそ、こうした湖には遊覧船や定期船が充実しているのです。展望台から楽しむことが多いスイスの山々は、のんびり湖上から眺めるとまた違った表情を見せてくれ、とても印象的でした。(松永華)

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「美しい秘境 知床」

2016年7月22日 カテゴリ: 日本情報

先日、「初夏の世界遺産・知床を極める旅 4日間」へ行って来ました。例年6月末はまだまだ寒い日々が多いのですが、今年は日々快晴で肌が焼けそうな程でした。

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この旅は、知床や道東の大自然を巡るコースで、知床では実際に現地の動植物に触れ合いながら、楽しくトレッキング!特に羅臼湖でのトレッキングはアドベンチャーで、童心に戻ったかのように楽しめるコースです。まず、羅臼湖を歩くには、長靴着用必須なのです。長靴を履いて歩くなんて一体どんなところなのか!?と想像が出来ないでしょうが。。
羅臼湖は、知床国立公園内にある原生林に囲まれており、ぬかるみが多い為、長靴やら長袖が必須なのです。6kmの湖の周囲には5つの沼が点在しており、湿原や森林、高山植物等が楽しめます。トレッキングをスタートし始め、すぐにドロドロのぬかるみに差し掛かり長靴の有り難さを実感!殆どは、森の中の土の道を歩きますが、所々ぬかるみがあります。アップ&ダウンはさほどない緩やかな登りが多いので、初心者の方でも心配ありません。

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五つの沼を二の沼、三、四、五と順々に歩いて行きますが、天候に恵まれれば、羅臼岳や、知床別岳が望めたり、国後島が遠望出来ることもあります。今回は天候に恵まれ、残雪が残る美しい羅臼岳が望め、湖には逆さ富士ならぬ、逆さ羅臼も見ることが出来ました。その他、多くの水芭蕉や桜を始め、様々な植物やお花や、ウグイスの鳴き声やエゾ・赤ガエルやアメンボも泳いでいたりと。懐かしい気持ちに浸りながらゴールの羅臼湖に到着です!正面には、まるでゴールを祝ってくれるかのように包みこんでくれる雄大な知床別岳が望め、達成感と清々しい気持ちで一杯でした。その後は、同じ道を戻ります。知床の絶景を背景に、履きなれない長靴で四苦八苦しながらのトレッキングは忘れられない想い出になるでしょう。他にも、知床五湖や象の鼻までの断崖ウォーキング等もありますが、雄大な知床の自然を堪能しつつ、知床の動植物を探しながらのウォーキングとなり、五感も刺激されるものばかりです。心身共にリフレッシュ出来る知床にてエネルギーをチャージ!(井手)

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ジャガイモだけじゃない!アイルランドの美味しい食事

2016年7月21日 カテゴリ: 西欧・南欧情報

先日、「北アイルランド・南アイルランド周遊 13日間」の添乗より帰国致しました。お天気にも恵まれ、ジャイアンツコーズウェイやモハーの断崖などアイルランドの大自然をたっぷり堪能できました。

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「アイルランドではジャガイモしか食べない」なんて揶揄する声を聞いたことがあるかもしれません。事実、イギリスの統治下にあり、作った小麦を英国に全部取られてしまうアイルランドの小作農達は、ジャガイモが大事な食糧でした。ジャガイモに依存しすぎたために、1840年代に起こった「ジャガイモ飢饉」では100万人以上の餓死者をだし、多くの人々がアメリカやオーストラリアへ移民したという歴史もあります。現代でもジャガイモはアイルランドの食生活の中心的存在。マッシュにしたり、揚げたり、蒸かしたり、茹でたりと調理法は様々。近年はイタリア料理など外国料理が浸透してきてもいるので、食生活にもバリエーションが増え、昔ほどジャガイモばかり食べているということはないですが、いまでもご高齢の方などは、毎日三食、ジャガイモを主食とした食生活を送っているそうです。

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では、アイルランドではジャガイモしか食べられないのか?!決してそんなことはございません。アイルランドをバスで走っていると、放牧されている羊や牛たちをよく見かけます。あまり知られていないかもしれませんが、実は、アイルランドは酪農王国なのです。広い牧草地でのんびりとストレスフリーで育てられた羊や牛たち。そのお肉や乳製品が美味しくないわけがありません。ラム肉とジャガイモやニンジンなどを煮込んだアイリッシュシチューは、ラム特有の臭みもなく、じっくり煮込んでいるからかお肉も柔らかくなっていてとっても美味しいです。そして、私のオススメはコクのあるバター!普段はカロリーが気になり、控えているのですが、アイルランドではついついバターに手が伸びてしまいます。イーストを使わずに小麦粉の持ち味だけで焼き上げたブラウンブレッドにバターをつけると、メインディッシュが来る前なのにパンでお腹いっぱい!と、なってしまうことも。アイルランドの全粒粉は独特の風味を持ち、日本の小麦粉ではこのブラウンブレッドは再現できません。アイルランドに来たからこそ味わえるものなのです。

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また、今回お客様から大変好評だったのが、アラン諸島イシュモニア島で食べたロブスター!身が引き締まっていてプリプリとした食感。タルタルソースをつけて頬張るとまさに至福の時。爪の先に詰まった身まで、美味しく頂きました。ロブスター以外にも、サーモンや鱈、私が自由食でご案内したオイスターなども好評でした。
「ジャガイモしか食べない」なんて昔のこと。観光でアイルランドの大自然を満喫したら、美味しい食事にお腹も心も満たされるツアーでした。(市川)

オーストリア帝国実質「最後」の皇帝フランツ・ヨーゼフの歴史を辿る

2016年7月20日 カテゴリ: 中欧・東欧情報

先日、「オーストリア、世界遺産巡りと湖水地方の旅」より戻って参りました。

今年の9月4日で就航が終わってしまう成田‐ウィーン間のオーストリア航空直行便でウィーンへ到着した後、素晴らしい世界遺産の数々を巡り、湖水地方では天気に恵まれ絵のような風景をお楽しみ頂きました。

今年は、オーストリア帝国の実質「最後の」皇帝であるフランツ・ヨーゼフ1世が没後100年であり、現地で賑わいを見せています。フランツ・ヨーゼフは、最後の皇帝と呼ばれるだけあり、その人生は壮絶なものでした。

フランツ・ヨーゼフ・ヘーエ

ハプスブルク家に生まれたフランツ・ヨーゼフは、1848年にヨーロッパ各地で起こった3月革命により叔父のオーストリア皇帝フェルディナンド1世が退位し、18歳の若さで即位しました。フランツ・ヨーゼフの祖父はフランツ1世ですが、新皇帝を「フランツ2世」ではなく「フランツ・ヨーゼフ1世」との複合名にしたのは、当時の革命の状況が危機的であったため、自由主義者から愛された神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世を彷彿とさせることが目的でした。

若くして即位したフランツ・ヨーゼフは、オーストリア領イタリア北部やハンガリーの独立、運動の弾圧やハンガリー愛国者による暗殺未遂事件など、数々の問題に悩まされますが、美貌で知られるエリザベートとめでたく結婚しました。もともとフランツ・ヨーゼフの母ゾフィ大公妃が目を付けていたのは、バイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家の公女ヘレーネ・イン・バイエルンでしたが、お見合いの日にフランツ・ヨーゼフを社交界に慣れさせるために連れてこられたヘレーネの妹エリザベートに一目惚れし、母の希望を押し切り彼女と結婚しました。しかし、フランツ・ヨーゼフがあまりにも多忙であったため、言葉を交わす時間も無くなっていきます。さらには、エリザベートは姑との関係が悪くなり宮殿に寄り付かなくなり、頻繁に周辺国へ旅に出かけるようになりました。二人の間に生まれた皇太子ルドルフは両親から引き離され、教育はフランツの母ゾフィ大公女によって行われ、家族への不信感が生まれる結果になりました。結局、両親に続くかのように、ルドルフも自身が築いた家族と上手くいかず、愛人と心中するというマイヤーリンク事件が起きてしまいました。さらに、息子に先立たれたフランツ・ヨーゼフの悲劇は続きます。1898年には皇后エリザベートが旅先のジュネーブでイタリア人無政府主義者に暗殺されました。この突然の知らせに、悲嘆のあまり「この世はどこまで余を苦しめれば気が済むのか」と泣き崩れたそうです。

そして、あの有名な事件が起きました。フランツ・ヨーゼフが1908年にボスニアとヘルツェゴヴィナの併合に踏み切った後、皇位継承者フランツ・フェルディナント大公がサラエボを視察中、ボスニア出身のボスニア系セルビア人の青年によって暗殺されました。このサラエボ事件により、オーストリアを始めとするヨーロッパ諸国は第一次世界大戦へと突入していきます。第一次世界大戦により、オーストリアは帝国の地位を失い、ハプスブルク家列強の座から転がり落ちました。そして、戦時中の1916年11月にフランツ・ヨーゼフ1世は肺炎にかかり、シェーンブルン宮殿でこの世を去りました。86歳でした。

シェーンブルン宮殿

数々の悲劇の中を生きたフランツ・ヨーゼフですが、68年に及ぶ長い在位と国民からの絶大な敬愛から、オーストリア帝国の「国父」と称されていました。また、オーストリアの象徴的存在となり、「不死鳥」とまで呼ばれました。ウィーンの周りを囲んでいた城壁が撤去され、現在のリングシュトラッセ(環状道路)の姿になったのも、彼の時代です。

現在でもオーストリア国民は彼を愛し、没後100年である今年2016年、11月27日まで各地で特別展が開かれています。ツアー中にご案内させて頂くシェーンブルン宮殿のベルグルの間では、彼の両親や子供たち、幼少時代、即位後など、様々な出来事を紹介した「フランツ・ヨーゼフ特別展」が開かれています。彼が置かれた立場や複雑な心境を感じ、オーストリア苦難の歴史を知ることができました。

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幻の西夏王国黒水城(カラホト)へ!(中国・内蒙古自治区)

2016年7月19日 カテゴリ: 中央アジア・シルクロード情報

黒水城(カラホト)

先日、「西夏王国の幻影、黒水城とゴビ砂漠紀行 9日間」のツアーより帰国致しました。今回の旅は、西夏王国の州府であった銀川(興慶)から始まり、陸路にてゴビ灘へ。ハイライトの黒水城や西夏王国の跡地をたっぷりと観光し、その後、河西回廊の町、嘉峪関と蘭州を訪れました。

「カラホト」とはモンゴルの言葉で、「カラ=黒く恐ろしいところ」、「ホト=城」 つまり黒く恐ろしい城という意味で、その昔、シルクロードのかたわらでジンギスカンに滅ぼされて消えた謎の民族の廃墟であります。

四輪駆動車で道なき道を進みゴビ灘での観光を終え、黒水城に到着したのは、お昼前。ガイドさんが準備してくれた今が旬の甘ーーいスイカを口いっぱいに頬張り、クールダウン。一息ついたところで、ようやく観光スタート。ゲルのような入口をくぐり城壁の中に入ると、遠く方に仏塔がみえます。

黒水城の入口付近

周囲の城壁は元の時代のもので、東西約440メートル、南北約370メートルの城壁の中にはカラホトのランドマークの仏塔をはじめ、多くの寺院跡が残っています。待望の黒水城の景色を目の前にすると、カンカン照りの暑さも忘れ、皆様足取り軽く、前に進みます。綺麗に舗装された歩道には、ところどころに風に乗ってやってきた砂漠の砂がこんもり積もっています。こんなにも簡単に砂漠が行き来するのを目の当たりにすると、長年黒水城が砂に埋もれていた事も納得できます。ガイドさんの話を聞きつつ、そんな事を考えながら20分程歩くと、西北の城壁にある仏塔の目の前に到着。

黒水城の仏塔

城のランドマーク西壁の上に聳える5つの巨大な仏塔の輪郭。写真を撮ったり、近くでじっくり見学したと…謎多き西夏王国の歴史に思いを馳せました。その後、約1時間、仏塔や寺院跡が点在する城壁内を散策しました。名残惜しくはありましたが、幻と言われていたカラホトを実際に訪れることができた喜びと感動を共有しながらその場をあとにしました。(大和田)

「ライ」知られざる英国の田舎町

2016年7月15日 カテゴリ: アジア

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先日「英国の美しき田舎町とフットパス 13日間」のツアーより帰国いたしました。今回の旅のハイライトはイギリス中に張り巡らされた散歩道、フットパスの一部を歩くこと。その総延長は24万キロ(なんと地球6周分に相当!)といわれ、森に牧草地に畦道に、たとえそこが私有地であっても、誰にでも歩く権利が与えられた散策路です。ウォーキング大国、英国ならではの旅の楽しみ方のひとつでもあります。雨が多いことで知られる英国の気候ですが、大事な時には太陽が顔を出してくれ、素朴な田舎町の散策を楽しむことができました。

〝英国の美しい田舎町〟と聞いて、思い浮かべるのはピーターラビットが誕生した湖水地方や、蜂蜜色の石造りの家が可愛らしいコッツウォルズ地方などではないでしょうか。しかし、今回は足を伸ばして、普段ツアーでは訪れることが少ない、ちょっとマニアックな英国の美しい田舎町を巡ってきました!中でも、最も印象に残ったのがライの町です。

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イングランド南東部に位置するライは、「フランス人が一番訪れたいイングランドの町」とも言われ、中世の面影をそのまま残す石畳の坂道や、チューダー様式の古い家々が美しい町。海を隔てた先にはフランスがあり、13世紀前半まではフランス領でした。その後、ヘンリー3世が領土を取り戻すと、地元の人々に海岸線の防衛を命じ、フランスへの戦略拠点を築き、港町として発展。しかし、英仏戦争が終わると、町はたちまち衰退し、海賊や荒くれ水兵が集まる町となってしまいました。衰退=古くなった建築物を修復するお金もない、という理由から、幸運にも中世当時のライの町がそのまま残されることになったのです。丸い石畳のメインストリートを登っていくと、見えてくるのは可愛らしい人魚の看板。そこはエリザベス1世も滞在した1420年創業のホテル「マーメイドイン」。私達が昼食をいただいたレストランでもあります。重厚な革張りのソファに赤い絨毯、歩くたび軋む床は長い歴史を感じさせます。奥には、一際古めかしいパブがあり、かつてこの場所で海賊たちがたむろしていたというのです。アンティークの調度品に囲まれていただくお料理もまた格別でした。シーフードもお肉も野菜も充分すぎるくらいのボリュームで、どれも新鮮。お腹いっぱいいただいた後は、町を散策。地図を片手に石畳をずんずん登り、英国最古の時計塔があるセント・メアリー教会や文豪ヘンリー・ジェームズが暮らしたラム・ハウスなどに立ち寄り、アンティークショップを覗いたり・・・まるで、中世の世界にタイムスリップしてしまったかのような素敵な時間を過ごすことができました。(三橋)


ヨルダンが誇る至宝のペトラ

2016年7月14日 カテゴリ: 中近東・北アフリカ情報

エル・カズネ

先日ヨルダンとイスラエルの9日間の添乗より帰国致しました。今回の旅で印象深いのはやはりヨルダンが世界に誇るペトラ遺跡でした。

ペトラは紀元前6世紀頃からアラビア半島から移住してきた遊牧民族のナバタイ人が岩山を掘り発展させた都市です。ギリシャ、ローマを始めエジプト文化やアッシリア文化の影響も受けています。何度も訪れてもその壮大さに心がワクワクする場所です。

遺跡ゲートから一番近いホテルから徒歩で遺跡へ向かいました。6月ということもあり現地は最高気温38度越えの猛暑が続きましたが、気持ちの良い風が吹いて体感気温は30度弱に感じました。ゲートを通過してまずは長い一本道と峡谷(シーク)が続きます。両側には当時の墓跡がかなり綺麗な状態で残っていて、階級によって墓の装飾も異なります。峡谷は水の浸食により狭い道ができていて全長は約1.2km、ナバタイ人にとっては自然の要塞になっていました。峡谷の道にもナバタイ人が発展させた水道管やダムなどの水利施設が残ります。汗をかきながらまだかまだかと長い峡谷を進むと、突然それは隙間から現れました。ペトラの一番の見所であるエル・カズネ(宝物殿)です。

高さ40mもあるエル・カズネが峡谷の隙間からチラッと見えるポイントがあり、そこまで来るとさらに気分は上がります。目の前に立って見るとその壮大さに圧倒されました。日の当たり具合で色も変わり、イオニア式の柱頭の飾りや儀礼を司る神々の像などの装飾も見事で、“薔薇色のペトラ”、“至宝のペトラ”といわれる由縁を肌で感じ取れました。

エル・カズネをあとにして、ペトラの最終目的地である山の上のエド・ディル(修道院)へ。エド・ディルまでの道は階段が約800段あり、かなりきついもので体全体から汗が噴き出てきました。全員で休憩をしながらゆっくり進み、約1時間かけて上りました。頂上に到着して振り返るとそこにはペトラで最も大きな建造物であるエド・ディルが堂々と立っていました。

エドディル

あまりの巨大さに見ただけで今までの長い道のりの疲れを忘れました。高さは約60mで壁に少し埋まっている状態です。少し奥に展望台もあります。上から見ると青い空とエド・ディルが対象的に見え、気持ち良い風も吹きここまでやってきたんだとさらに感動します。紀元前4世紀頃のナバタイ人がこの建造物を彫って創ったことを想像してみると言葉が出ません。

帰る時は何回も振り返り、感動で胸いっぱいになりながらペトラを後にしました。(山下)

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