日付:2016年9月の検索結果

知られざるアンデスの絶景「マラス塩田」を訪ねて(ペルー)

2016年9月30日 カテゴリ: 中南米情報

先日、「ペルー、マチュピチュ・ナスカ・チチカカ湖と聖なる谷10日間」の添乗より帰国致しました。今回はマチュピチュ遺跡やナスカの地上絵を始め、チチカカ湖のウロス島までペルーの見所を一度に巡るツアーでした。
高度順応の為宿泊したインカの谷を離れ、いよいよ旅のハイライト・マチュピチュ遺跡に向かう途中、マラス塩田にご案内しました。マラス塩田というと、日本人観光客にあまり知られてはいませんが、あっと目を引くアンデスの絶景をご覧になれます。車窓はペルーの田園風景からアンデスの渓谷に移り変わり、塩田を一望できるポイントでお写真ストップ。うっすら雪に覆われている?!かと思いきや、谷の急斜面に無数の棚田が並んでいます。

マラス塩田を遠望

細い道を下りきるとマラス塩田の入口に辿り着きます。山間の一角が真っ白になっている全景を遠望するのは、それはそれで趣がありますが、ここまで来ると、塩田が段々畑のようになっている様子がわかり、一面に広がる世界に圧倒されます。

段々畑のような塩田

マラス塩田

約3200mのアンデスの高地。約6000万年前は、海でしたが、地殻変動で隆起し、アンデス山脈となり、海は巨大な塩の塊となりました。隆起した山中には、海水の塩分が固まりとして残され、湧き水に溶かされながら、マラスの塩田へと流れ込んでいます。今でも毎年4月から9月には、インカ時代さながらに、塩が手で作られ、手で運ばれています。アンデスの人々が苦労して集めた干上がった塩はお土産屋さんで売られ、マラスの塩を求める人で大盛況!岩塩の持つミネラルのみならず、地下水が持つミネラルも豊富に含んでおり、世界一美味しい塩と言う人もたくさんいます。一度は試す価値ある代物です!(大和田)

ユーコンの赤い大地とオーロラ(カナダ)

2016年9月29日 カテゴリ: 北米情報

次はカナダに行ってまいります。」と言うと決まって聞かれるのが「カナディアンロッキーの方?」だとか「あのメープルの紅葉のきれいな所?でも少し時期が早くない?」と言う言葉。しかし今回はちょっと違う。カナダのなかで、今はまだ日本であまり知名度は高くはないのですがこれから必ずや注目を浴びるだろうカナダの極北に位置するカナダ最後の秘境と言われるユーコンより帰国しました。
 北は北極海、お隣はアラスカに囲まれたユーコン準州は日本の1.3倍もの面積を持ちながら人口はわずか約3万5千人。人口も少なければ訪れる観光客もまた、他のカナダの観光地に比べれば格段に少ない。長い冬が終わるとあっという間の春が通り過ぎ一気に夏に突入したかと思うと瞬く間に短い秋を迎え、そして再び長い冬へと。長さ的にはちょっと不平等に感じるユーコンの季節もその時期ならでは、四季折々の見どころがあります。
その中で一番のおすすめは〝秋〟。ユーコンの秋は早く、又短い。そんな束の間の秋、ユーコンではアスペンが黄葉し、ツンドラの大地は赤く紅葉、針葉樹のトウヒの緑、と美しい色の競演。また、極寒の冬のシーズンでなくてもオーロラ鑑賞が可能な秋は昼も夜も楽しめるまさにお得な季節なのです。
 今回の旅では8日間と短い日程ながらアラスカと国境を接するクルアニ国立公園で白樺、アスペンの黄色のトンネルをハイキングしたり、かつてゴールドラッシュで栄えた極北の古都、ドーソンシティを訪れ更に北上しトゥームストーン準州立公園へ。ちょっぴり茶色がかっていましたが、どこまでも広がるツンドラの赤い絨毯に2~3日前からの新雪がうっすら覆った景色にすっかりハートを奪われました。

クルアニ国立公園からホテルまでの道中

毎晩のオーロラ鑑賞に日中のハイキングにちょっと寝不足気味ツアーではありましたが、ユーコンのキャッチコピーでもある【ユーコンは人生より大きい!】納得の言葉でした。(岩間) 

氷山の町、グリーンランド・イルリサット

2016年9月28日 カテゴリ: 西欧・南欧情報

先日、グリーンランド、アイスランドのツアーから帰国しました。
グリーンランドといえば、世界地図の上の方の、真っ白な島です。
そもそも人が住んでいるのか、どんな生活が営まれているのか、想像しづらい場所だと思います。
私たちが今回訪れたのは、グリーンランドの西岸のイルリサットという町。2004年に世界自然遺産に指定されたこの町では、世界中でここでしか見られない美しい風景を見ることができます。それは、氷の漂う海に囲まれた、色鮮やかな町の風景です。

イルリサット

グリーンランドは国土の80%が氷に覆われた島です。島に雪が積もり続け、下の方の雪が圧縮されて氷になり、更にその上にどんどん雪が積もると、氷はゆっくりと島を滑り落ち、海に流れてゆきます。簡単に説明しましたが、氷の流れはとてもゆっくりで、おおよそ、人の爪が伸びる速さと同じくらいだと言われています。膨大な時間をかけて動くこの氷河がイルリサットの近くで海に流れ出てゆきます。イルリサット周辺の海は浅いため、流れ出た氷がとどまりやすく、それゆえに常に氷に囲まれた幻想的な風景を造りだしているのです。
大きな氷がごろごろと浮かぶ、イルリサットの港から、クルーズ船に乗り氷海を進むと、息をのむような風景に出会えました。高層ビルのように高い氷の山が海に浮かんでいます。でも、海面から見えているのは、なんとその氷山のたったの2割程なのだそう。ただでさえ、高層ビルほど大きいのに、海の下に8割が隠れているのです。想像もつかないような大きさです。そんな巨大な氷山に囲まれているが故に、この海での公開は非常に難しく、一歩間違えばタイタニック号のように海面下の見えない氷河にぶつかって沈没してしまいます。
氷海クルーズでみた景色
しかし、そんなことは全く気にしていないかのように軽快に船を走らせる、イヌイットの地元民船長。海に浮かんでいる氷にも種類があるんだと言って、海から氷をすくってみせてくれました。真っ白な氷は空気を多分に含んでいる、まだ新しい氷。つまり、雪が降り積もった上の方にあった氷なのだそう。それに対する黒い氷は、雪が積もった場所の深い場所にある氷で、どんどん積もる氷に押しつぶされ、空気が押し出されたもの。つまり、何千年も前の時代に形成された古い氷なんだそうです。物理的な大きさだけでなく時間的にもスケールが大きいのです。
国土のほとんどが氷に覆われているが故に、この島の中では移動が非常に大変です。基本的に、町と町をつなぐ道路というものが存在していません。では一体どうやって、町間の移動をするのでしょう。方法は3つあります。
(1)飛行機(グリーンランド航空という航空会社があります。とってもサービスの良い航空会社です。)
(2)船(あまりに大きい船は入江に入ることはできないそうです。ちっちゃなボートも多いです。漁業も盛ん。)
(3)犬ぞり(犬が引くそりです。)

犬ぞり用の犬

この方法でしか移動ができないのです。しかも、③の犬ぞりは季節限定。近年は夏になると氷が溶けるため、クレバス(氷の亀裂)が発生し、犬ぞりでの移動も命がけになります。
しかしながら、狩りや移動には犬ぞりがよく使われ、イルリサットの町にはなんと犬ぞり用の犬が4000頭もいます。(ちなみに、人口は約4500人程。)町中を散策していると、写真のような犬をたくさん見かけました。日本に住んでいると、当たり前のように車がたっくさん走っていますが、そんな当たり前の通じない、遠い場所なのでした。(留置)

ユーラシア旅行社で行くグリーンランドツアーの魅力はこちら

話題のキューバで憧れのクラシックカー乗車体験!

2016年9月26日 カテゴリ: 中南米情報

クラシックカー
先日、話題のキューバの添乗より帰国致しました。
今回のツアーではキューバ7都市をじっくり巡りました。昨年の2015年7月1日にアメリカ、キューバ双方の大使館を7月20日より再開させることに合意したことで両国は54年ぶりに国交を正常化しました。この影響でキューバでは、今観光客に大人気です!そして、現在タイムリーなことにカストロ兄弟と初の首脳会談を行うため安倍首相もキューバを訪問しています。 それほど世間で話題のキューバの旅はハバナから始まりました。初日、ハバナの空港に到着したのは深夜。ターンテーブルまで進むと、なんとそこには夜遅くにも関わらずひしめき合う程の観光客の姿が!予想以上のキューバの人気ぶりを感じた瞬間でした。
そんなキューバのツアーで特に印象に残ったのは、クラシックカー乗車体験です。
乗車体験日当日、行程中なかなか晴天にならなかったキューバの空がやっと快晴になりました。ハバナの旧市街広場より乗車体験はスタートしました。お客様とオープンカーが良いですねと言いながら待ち合わせの場所に行くと、そこには8台のクラシックカーが勢ぞろい!さらに全車オープンカー!ずらっと8台並んでいる光景は壮観で、それを見たとき思わず「カッコイイ!」と声が出ました。色は青、オレンジ、ピンク、白など鮮やかな8台でした。じゃんけんで乗りたい車をそれぞれ選び、いざ乗車体験へ!

クラシックカー

キューバのラテン音楽を聞きながら約30分、旧市街をドライブしホテルまで滑走。
車内は広々としていて後部座席に3人座ったとしても余裕があり、オープンカーなので風が良く吹いてきて心地良かったです。クラシックカーがこれだけまとまって走るのは珍しいので、行き交う人々も手を振ってくれたり、写真を撮ったりしてくれたのも思い出の1ページ。途中で海を見ながら走るポイントがあり、その約5分のポイントは青い空と海のコントラストが綺麗でお気に入りのスポットになりました。こうして30分間があっという間に過ぎて、まるで夢のような乗車体験時間でした。 (山下)

何もしない島国、南太平洋にポツンと浮かぶニウエ(ニウエ)

2016年9月23日 カテゴリ: オセアニア情報

先日、南太平洋のクック諸島とニウエの旅から戻りました。
クック諸島についてはよく知らなくとも、何となく想像できます。
有名なあのクック船長と関わりがありそうな、南太平洋の島かなと。

クック諸島は18世紀にクック船長が発見し、1956年まではニュージーランドの自治領でした。15の島々から成り立つ、南太平洋の島です。
タヒチとニュージーランドを結ぶ線上にあるので、先住民のマオリ系の人々はタヒチから
丸木船に乗ってクック諸島に立ち寄り、ニュージーランドへと向かいました。
ニュージーランドの先住民がマオリ人であることはよく知られていますが、
実は彼らの故郷はクックであり、タヒチであったのです。
タヒチからクック諸島までは何と1,260km。更にクックからニュージーランドまでは3,450km。
途方もない距離感。
島影を見ながら、島づたいに移動するならまだしも、水平線には島影も何も見えない、
未知の大海原に小さな丸木船(カヌー)で漕ぎ出す、その勇気には感服です。

さて、本題に入ります。
「ニウエ」ってなんでしょう?
既にタイトルで「島国、ニウエ」と書いてあるので「島国」と想像できますが、
恐らくこのヒントが無ければ、残念なことにニウエって、一体??
新しい食べもの??
昔の英雄の名前??
っていうぐらいに知名度は低いのではないでしょうか?
実はこのニウエもピッカピカの新しい国。
日本は2015年に独立国として承認しました。
ニュージーランドの北東2,400キロメートル、トンガの東480キロメートル、
サモアの南東560キロメートルにあり、島の周囲に砂浜は殆ど無く、ゴツゴツの岩石(石灰化した古い珊瑚が隆起した岩)の島が一つだけポッカリと海から突き出ているので、あだ名で「ポリネシアの岩」と呼ばれています。
人口は1500人足らず。
クック諸島のようにエメラルドブルーの美しい砂浜を楽しむクルーズ船もなければ、まだまだ観光も発展していないので華々しいマリンスポーツの誘いもありません。

イスを海に向けて並べただけの絶景カフェ

小さな磯でバチャバチャとシュノーケリングを楽しむくらいです。
おしゃれで洗練されたカフェないけれど、プラスチックのイスを並べただけのテーブル席の向こうには深い紺色の水平線が広がる絶景があります。
ボーっと海面を眺めていれば、かなりの確率で鯨の潮吹きを観察することができます。
ワイワイガヤガヤ楽しいナイトクラブやバーはないけれど、ふと夜空を見上げれば日本では滅多に見られない天の川、満点の星々が輝いています。
この素朴さ、何もないところがニウエのいいところです。
ここもかつてはニュージーランドの自治領だったので、観光客は殆どがニュージーランド人。自然の静寂をこよなく愛するキウイ(ニュージーランド人)にとってはぴったりのリゾートです。
我々日本人も、安らぎを求めて美しい南国の島々に出かけるものの、何かやらずにはいられなくなり、結局あれこれ手を出して、リゾート滞在も忙しくなりがちですが、
何もしないという覚悟を決めて、何もないニウエでのんびり過ごすのもいいかも知れません。
(上田)

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アンコール・ワットのルーツを探して南インドへ(上智大学教授・石澤良昭氏同行解説ツアー)

2016年9月21日 カテゴリ: アジア情報

アンコール・ワット

2003年の初回から数えること29回目、今夏も、アンコール遺跡研究の第一人者でいらっしゃる上智大学教授・石澤良昭氏同行・解説のツアーを実施しました。毎回テーマを掲げて回を重ねてきたツアー、今回は「アンコール・ワットのルーツを探る旅」をテーマとし、ベンガル湾を超えてインドへ。海のシルクロードによって東南アジアにもたらされる以前のヒンドゥー文化や建築と向き合い、アンコールのそれと比較しよう!というわけです。

石澤良昭氏の解説で南インドも見学(カイラーサナータ寺院)

足を運んだのは南インドのチェンナイ。ベンガル湾に面するこの町を拠点に、マーマッラプラムとカンチープラムを訪ねるのが今回の旅の目的です。この辺りは、南インドで興ったパッラヴァ朝が7~9世紀に繁栄した地で、カンチープラムはその首都であったと同時にヒンドゥー教7聖地の1つとされます。寺院を訪れると、玄関にそびえ立つ塔門ゴプラムがパッと目に入ります。そこに施されたヒンドゥーの神々彫刻は、目を凝らして見てみると個々に表情がありユニーク。「双眼鏡を持って来ればよかったかなぁ・・・」と少し後悔。他の膨大な彫刻を見るためにも、双眼鏡があればもっと楽しめたかもしれません。
そして、マーマッラプラムにはヒンドゥー寺院のモデルともなる寺院群が残ります。それぞれの寺院からは建築の歴史を見て取れ、岩山を掘り込んだだけの寺院が、最終的には石を積み上げた独立型の寺院へ進化していくのです。これらが、海を東に渡って東南アジアへ、そしてあのアンコールまで辿りついたのだろうと思いながらチェンナイの海岸に立てば、今は海水浴場の場所も何だか意義深い場所に思えてくるのですから不思議なものです。

ヒンドゥー芸術・文化の基礎をきちっと見学した後は、アンコール・ワットへ。何度も見てきた遺跡、そしてそこに残るレリーフも、いつもと見方が変わったような。南インドのそれとのディテールの違いなどを石澤先生からご解説いただき、歴史というのはどこかの時代でどこかの場所と繋がっているものなんだと改めて思ったのでした。(江間)

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8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その4・最終回

2016年9月20日 カテゴリ: 中欧・東欧情報

オハD型機関車

サハリンが「樺太」であった頃、岩手出身の童話作家・宮澤賢治が1923年8月サハリンを訪れ、そのときの体験が『銀河鉄道の夜』の創作に活かされました。私は、作品の中で主人公たちが車窓から見た光景や降りた駅の描写は、故郷岩手のものだとずっと思っていました。しかし、それらは賢治がサハリンで列車に乗り、山や湖、海岸を訪れ見た光景だったのかと想像しながら2016年現在のサハリンの自然を眺めてきましたが、特に私にとって印象に残った場所は“琥珀海岸”と呼ばれるスタロドゥプスコエ(栄浜)の海岸でした。内陸にある山の琥珀が川に流され海に辿りつき、波によって浜辺に打ち上げられた山の琥珀が見つかることで有名な場所。訪れた日は晴天で、その日に眺めたオホーツク海はキラキラ光り、人工的な騒音もなく波の音とカモメの鳴き声が静かに聞こえてくるだけ。そしてときにきらりと光る小さな小さな目をこらさないと見つからないほどの琥珀があちこちにある浜辺は、穏やかでいて非現実的な雰囲気が漂い神々しく感じました。

スタロドゥプスコエ(栄浜)の海岸

8000万年以上前の樹脂が長い年月をかけて宝石のようになった琥珀を浜辺で見つけたとき、『銀河鉄道の夜』のなかで主人公たちが白鳥の停車場で下車して訪れた水晶でできた砂を見つけた河原の場面、主人公たちがプリオシン海岸で出会った化石を掘る大学士の場面が頭のなかに浮かんできました。また賢治は、サハリンを訪れる前年に最愛の妹を亡くしました。妹の魂を追ってサハリンにやってきた賢治は、小さなかけらながらも癒しの効果がある琥珀によって癒されたのだろうか、それともその効果を知っていて賢治は立ち寄ったのだろうかと美しい光景の浜辺で想像してしまいました。ちょうどツアー中の8月27日は宮澤賢治の誕生日でした。今年は生誕120年の節目でしたが、残念ながら現在のサハリンでは宮澤賢治は有名ではなく、現地では何のイベントもありませんでした。しかし、いずれサハリンに宮澤賢治博物館を開設するための動きがあるとのこと。いつになるかわかりませんが、その博物館の開設と共に現代の日本人がサハリン=樺太のことに注目を集めるきかっけになったり、流行りの聖地巡礼ではありませんが作品の舞台となったサハリンを訪れる人が多くなるかもしれません。領土問題など深く考えずに、サハリンを訪れ、遠くに思えていたロシアを身近に思えたり、現地の人々や文化に接し交流をはかったり、日本の歴史を振り返るきっかけになれば素敵だなと思いました。(髙橋)

8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その3

2016年9月19日 カテゴリ: 中欧・東欧情報

『サハリン』というとぴんとこない様子で『樺太』というと「あぁ、(どこかで)聞いたことある。(けれどもどこかよくわからない。)」と私の学生時代の友人たちから返ってきた言葉でした。サハリンという単語には反応がいまいちでしたが、江戸時代に最上徳内、松田伝十郎、間宮林蔵を極東を調査した彼らの名前や1809年間宮林蔵が海峡を越えて大陸にいたり、サハリンが島であると発見したことで名付けられた“間宮海峡”(タタール海峡)は歴史や地理で習ったことで名前の認知度は高かったのですが、やはり“何処か”となると「何処だったかな?」という返答・・・。1905年日露戦争後に取り交わされたポーツマス条約にてサハリン島の北緯50度線より南半分は、日本領「樺太」となりました。その為、多くの日本人が移住し、鉄道を敷設し、林業、炭鉱や製紙工場などの経済活動が盛んになりました。しかし終戦後のサンフランシスコ条約締結(1951年)にて日本は樺太・千島を放棄。樺太に住んでいた日本人は、北海道等へ移住し、以後1989年まで軍事拠点となり外国人の立入り禁止区域となりました。日本ではなくなってから約65年の歳月が流れた現在、樺太時代の日本人が住んでいた町々を訪れると僅かばかりの日本時代の跡が、多くは廃墟となって残っていました。林業が盛んだったことを象徴する巨大な旧王子製紙工場跡(現在は廃墟となっていたり、一部をボイラーや倉庫などとして活用)。頑丈に出来た石造りの建物である旧拓殖銀行は、日本人が引き揚げた後も何かと利用され、綺麗な外観のまま残っていました。

旧白浦神社の鳥居

神社なども昔は各地にあったそうですが、現在では社は残っていないものが多く、ぽつんと郊外の草むらの中に残る旧白浦神社の鳥居や自由時間にご希望の方と一緒に探したユジノサハリンスク(豊原)の山中草むらのなかにほんの一部の基礎を残すのみの護国神社や民家の裏の山中に残っていた樺太神社を見つけましたが、そこへ行くための方向を示す看板などは一切ありませんでした。また学校関係では、校舎は残っていないけれども奉安殿だけが残っているのも見かけました。日本本土ではGHQによる撤去により奉安殿は戦後、学校からなくなりましたが、戦後生まれの私はサハリンで初めて見るものとなりました。私の祖父母が子供の頃に学校という場所で当然にあった過去の遺物と日本の歴史にほんの少し触れられたような気がしました。
つづく(4回シリーズ/第三回)

8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その2

2016年9月18日 カテゴリ: 中欧・東欧情報

今回のツアーは8月21日発「サハリン大縦断と銀河鉄道の旅 8日間」。
タイトルの通り、南はコルサコフ、北はオハまでバスや乗用車を使って陸路移動をし各地を訪れてきました。また始発駅のユジノサハリンスクから北緯50度線を越えて終点駅ノグリキまで向かう寝台特急列車サハリン号にも乗車。

寝台特急列車サハリン号

このように南北を巡ったおかげで、北部オハでは油田採掘場や天然ガスを用いた火力発電所を眺めたり、北部オホーツク海で採掘された原油と天然ガスを出航するコルサコフの加工施設や出荷港を見ることが出来ました。いずれパイプラインが日本の関東まで伸びる計画があります。中東から石油や天然ガスをタンカーで運んできていたのに比べて、サハリンからだとすぐに日本へ供給できる利点があり、注目を集めています。北端のオハからユジノサハリンスクまでバス移動だったおかげで、面積の半分を占める森林地帯を車窓の景色で実感でき、海沿いの街を訪れては眺める海は、曇りの時は荒涼とした日本海のような雰囲気、晴天の時は海面がキラキラ輝き、透き通る海の水がとても綺麗でした。

大陸の大都市モスクワなどに比べればサハリンは近代的な都会の雰囲気がなく、良い意味でどこも田舎に感じられました。自然が非常に豊かであり、北海道ほどの面積に人口は50万人ほどなので、州都から車で30分(一部町中にもありましたが)ほど郊外へと走らせれば、ダーチャ(農地付別荘)をたくさん見かけました。北部の方を移動中は、民家の庭が畑になっていたりもしました。海辺で海岸に打ち上げられる海藻を拾いに来る人の姿もあり、その海藻をダーチャや自宅の畑の肥料にするのだとか。現地で食した料理も野菜を多く使い、サラダにボルシチ、添え物のマッシュポテト、茹でジャガはどれも野菜そのものの味がいいので、見た目は素朴でしたが素材の旨味があり非常に美味しかったです。

サハリンでの食事

つづく(4回シリーズ/第二回)

8月・東京から空路約2時間でロシアへ!(サハリン) その1

2016年9月17日 カテゴリ: 中欧・東欧情報

ヤクーツク航空

成田から今年2016年就航したばかりの直行便ヤクーツク航空に乗り、約2時間という飛行時間で眼下に北海道をみた後に到着した空港では、入国審査官の人が金髪&目の色が薄いグリーン、白い肌という外見。たったの2時間でアジア圏ではない外国に来た!という不思議な実感。ヤクーツク航空に乗って到着した場所は、北海道の宗谷岬から北へわずか43kmに位置するサハリン島。地図で見ると細長く小さそうに見えるが、南北約900km(東京-福岡間相当)で面積は76,400平方km(北海道の9割ほど)とロシア連邦最大の島。日本との時差は+2時間。町中へ移動する道中に見える看板などの表記は全てキリル文字。聞こえてくる言葉も、もちろんロシア語。ロシア旅行というとモスクワ、サンクトペテルブルクのイメージですが、こんなに日本と近い場所に異国ロシアがあり、ロシア国内に簡単に来ることができることがあまり広く周知されていないことに驚いてしまう。それも領土問題などのニュースの影響かもしれないが・・・。

祭典で華やかな衣装を纏った地元の女性達

しかし、国や政治的な話はさておきサハリンに住んでいる人にとっては、サハリンの地は生まれ育った場所であり、先祖や親、祖父母が大陸から移り住んできた場所であり、働いて生活している場所。オホーツク海、タタール海峡(間宮海峡)といった海に囲まれ、海の恵みを受けた産業、古くからも採掘はされていたが、また新たに発掘され続ける油田・天然ガスといった鉱業、島の面積の約5割を占める森林地帯からもたらされる林業。自然の恩恵を受けた経済活動も非常に興味深いものがありました。
つづく(4回シリーズ/第一回)

倶楽部ユーラシア ブログ

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