アラビア半島最大の国家サウジアラビア王国。
2019年9月に日本人を含む一部の外国人に観光査証の発行が正式に認可されました。2022年には聖地メディナへの観光客受け入れ解禁も発表されました。
イスラム教徒の聖地メッカと広大な砂漠のある、世界有数の産油国で、お金持ち国家というイメージの強いサウジアラビア。
実際はどんな国なのでしょう。
「百聞は一見に如かず」
ぜひ、一度訪れてみてください!

サウジアラビアとは

サウジアラビア基本情報

【正式名称】サウジアラビア王国
【面積】215万平方キロメートル(日本の約5.7倍)
【人口】3,370万人(2018年,世銀)
【首都】リヤド(Riyadh)
【民族】アラブ人
【言語】アラビア語(公用語)
【宗教】イスラム教
【時差】日本よりマイナス6時間

サウジアラビアとは?王家の故郷のディライーヤとリヤド

王族はなんと1万人?サウード王家の成り立ちに触れる

リヤドのキングダムセンター

リヤドのキングダムセンター

サウジアラビアは、「サウード家のアラビア」という意味です。サウジアラビア王家のサウード家はリヤドから来た15㎞程のディライーヤ中心に勢力を持っていた豪族でした。19世紀にメッカとメディナを占領し勢力を伸ばしたワッハーブ王国がその始まりです。部族争いやオスマン帝国との領土や覇権争いのなか、1902年に初代国王となるアブドゥルアジズがリヤドに拠点を定め支配を確立、第一次大戦で英仏独露の勢力争いの舞台となったアラビア半島において、1932年に独立国が成立させました。

やがて油田が発見され、第二次世界大戦後に大規模な油田開発が進み、目覚ましい経済の発展がおき、世界有数のお金持ち国となります。初代国王アブドゥルアジズはなんと16人以上の妻との間に36人の王子とさらに王女達がおり、彼の王子達が第二世代といわれ、今王位を順に継いでいます。いま、王族の若い世代は第4世代といわれ、日本のアニメを愛していたり、モデルをしていたりと、意外な分野で活躍をしています。何しろ総勢数千人もの王族がいるので、もしかしたら、観光中に出会えるかも?

解禁!聖地メディナへの旅

メディナの預言者のモスク

メディナの預言者のモスク

サウジアラビア西部に位置する古都メディナは、預言者ムハンマドが眠る地として、メッカと並ぶ二大聖地に数えられます。従来はイスラム教徒以外は入る事が出来ませんでしたが、聖地のモスクに入場はできないものの、メディナの街に入ってモスクの敷地入口手前まで近づくことができるようになりました!歴史が刻まれた聖地の街への旅をお楽しみください。

ナバテア人が遺した世界遺産マダイン・サーレ

マダイン・サーレ遺跡

マダイン・サーレ遺跡

マダイン・サーレにて

巨岩をくり抜いた跡

ヨルダンのペトラから通商路の南方、アラビア半島北部に佇むのがナバテア人達の第二の都マダイン・サーレです。南方から運ばれる香料やスパイスの中継地として、また隊商たちを保護する為の前線基地として紀元後1世紀頃に築かれました。ここではナバテア様式の墳墓群が印象的です。岩壁にあるペトラのものと違ってこちらは独立した岩に築かれているケースも多く、見応えがあります。ナバテア人が得意とした灌漑技術によって砂漠の中でも都市として機能し続ける事ができました。その考古学的価値が認められ、サウジアラビアで初めての世界遺産にも登録されました。

サウジアラビア第二の都市、大都市ジェッダ

ジェッダの町並み

ジェッダの町並み

サウジアラビア西部にある第二都市ジェッダは、紅海に面する港町として、また、メッカへの玄関口として、7世紀から栄えていました。19世紀ころから残る古い建物の多くある地区が、いま世界遺産となっています。細かなデザインの木の窓は外側から家の中がのぞけないようになっており、暑い日に窓を安心して開けて涼しい風を感じることができます。

また、伝統工芸や生活工芸などご覧いただけるタイバット博物館や紅海や近隣の砂漠などの自然も楽しむことができます。

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