国土の多くは西カルパチア山脈に連なる山岳地帯で、特に秘境タトラ山麓は観光化されておらず、自然愛好家秘蔵のハイキング地と言われます。山岳民族の伝統文化村 、中世そのままの街、城、教会など文化遺産の宝庫でもあり、多くの国に囲まれ影響を受けながらも独自の文化を守っています。北海道の5分の3程の面積、人口540万人の小さな国に自然・文化遺産が詰まっていて、どちらも楽しめるのが魅力の正にヨーロッパの穴場です。

スロバキアとは

スロバキア基本情報

【正式名称】スロバキア共和国
【面積】49,037平方キロメートル(日本の約7分の1)
【人口】545万人(2019年)
【首都】ブラチスラバ(Bratislava)
【民族】スロバキア人80.7%,ハンガリー人8.5%等(2011年)
【言語】スロバキア語
【宗教】ローマ・カトリック62%,プロテスタント(ルター派)6%等(2011年)
【時差】日本よりマイナス8時間(サマータイム時はマイナイス7時間)

ドナウ川に面する街、ブラチスラバ

ウィーンまでわずか60km、ハンガリー国境まで約20kmという位置にあり、両国からの影響を大きく受けました。1541年、ハンガリー王国の首都ブダがオスマントルコに陥落され、王位はハプスブルク家へ。首都機能はブラチスラバへ移されました。1563年から1830年までの間、18人のハンガリー王の戴冠式が、ここブラチスラバで行われました。かのマリア・テレジアもその一人です。

ブラチスラバ城

ブラチスラバ城
ブラチスラバ城

「さかさテーブル」の愛称で親しまれる城。ドナウ川を見下ろす高台にあることから、ローマ時代からすでに要塞が築かれていました。16世紀、ブラチスラバがハンガリー王国の首都になった際には、王の居城となりました。現在の姿は、この城を大いに好んだマリア・テレジア時代のものです。

ブラチスラバ戴冠式フェスティバル

ブラチスラバ戴冠式フェスティバル
ブラチスラバ戴冠式フェスティバル

16世紀から19世紀にブラチスラバで行われたハンガリー王戴冠式の様子を再現したお祭りです。毎年一人の王を取り上げて、ブラチスラバの目抜き通り、ミハイル通りでパレードが行われます。

素朴で豊かな農村風景

チチマニー村
チチマニー村

国土の約40%以上が森林にあたり、手つかずの自然も残るスロバキアの大地

地方の農村では、豊かな森で採れる木を使って、素朴ながらもその土地の歴史や文化に根ざしたデザインで造られた家々が、 村人達に大切に受け継がれています。チチマニー村には19世紀頃に建てられた木造家屋が残り、その最大の特徴は”外壁のペインティング”。白い色で描かれた幾何学模様、花、動物などで、これらはかつて、村人たちが「代々伝わる伝統の刺繍デザインを忘れないように」とか「魔除けになるように」という意図で描いたとされています。

高原リゾート、タトラ山地

タトラ山地の展望台
タトラ山地

ポーランドとの国境東西55km、南北17kmに跨って聳えるタトラ山地。その80%はスロバキア領です。国歌のタイトル「稲妻がタトリの上を走り去り」からもわかるように、スロバキアの象徴であり、民族の誇りです。ツアーではロープウェーを利用し、”高タトラ山地”で第3の高峰、ロムニツキーシュティート(2634m)の山頂を訪問し、ポーランド側のタトラへと抜けてゆきます。

廃墟マニア垂涎! 歴史深き廃城を訪ねて

難攻不落のスピシュ城
欧州最大級の廃城スピシュ城

古くから交通の要衝であり軍事拠点でもあったスロバキアには、趣深い廃城が現在も多く残っています。タタール人(モンゴル人)の襲来に備え、東スロバキアの戦略的要衝として築かれたスピシュ城は1780の大火で現在のような廃墟と化しました。

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