セルビア共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ

旧ユーゴスラビアの西バルカン諸国 PART①

  • 長い年月風雨に耐えてきたジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院のフレスコ画

  • 奇岩がならぶ悪魔の街

  • シャルガン8(イメージ)

  • 紛争時、実際に使用したトンネル(トンネル博物館)

  • スタリ・モスト

 

 

バルカン半島における約2000年の歴史は、紀元前後にギリシア人、ケルト人、古代ローマ人、そして民族移動でやってきたスラヴ人の居住、中世においてはオスマントルコ帝国、ハプスブルク・オーストリア帝国、海洋貿易国ベネチアの侵攻と支配、そして近年におこった内戦による分断と独立がありました。20世紀半ばに誕生した旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を表現する「7つの隣国、6つの共和国、5(6)つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの言語」という言葉があるように、非常に複雑で簡易には表現ができない地域。これらの影響や複雑さが、西暦2000年の現代においても街並みや文化、人々の習慣として残る国々です。複雑な歴史を経てきたからこその歴史の重さを感じさせられる光景が溢れています。

セルビア共和国

セルビア正教の修道院

ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院、セルビア 長い年月風雨に耐えてきたジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院のフレスコ画

波乱の歴史を歩んできたこの地のセルビア人にとって、セルビア正教は人々の精神の拠り所でした。セルビア人最初の独立国家・中世セルビア王国時代に誕生したセルビア正教は、初代国王らと関わりがあることからも、セルビア人にとっては宗教としてだけではなく歴史的な重要性も含まれています。山奥にひっそり佇む修道院や教会で、正教芸術が開花していき、見事な芸術作品が残されています。中でもセルビア最大の修道院であるストゥデニツァ修道院には、12世紀に描かれたフレスコ画の傑作が残っています。セルビアを旅すると至るところでセルビア正教会に出会い、そこに描かれた正教芸術に圧倒されます。

首都ベオグラード

チトーの墓、花の家、ベオグラード、セルビア、バルカン ユーゴスラビア社会主義連邦共和国・元大統領チトーの墓

街にはセルビア正教会やオーストリア帝国時代の名残を感じさせる優美な建物が並び、ドナウ川とサバ川がゆったりと街に寄り添うように流れます。

かつてはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の首都であり、旧ユーゴスラビア地域で最大の都市であるこの街では、ドナウ川とサヴァ川の合流地点を望み、かつて要塞があった場所にできた市民憩いのカレメグダン公園、未だ建設中で完成したらセルビアで一番大きな正教会となる聖サヴァ教会、そしてユーゴスラビア大統領であったチトーの墓が安置される花の家を訪れます。

悪魔の街

セルビア、悪魔の街 奇岩がならぶ悪魔の街

奇岩が建ち並び、その光景から悪魔伝説が残るジャボリャ・バロシュ。それゆえ、この場所を「悪魔の街」と呼びます。鉱物資源も豊富な場所でもありかつての鉱山跡や鉱物により赤みを帯びた川など、展望所までの道中に見ることができます。駐車場から緩やかな登り坂と階段をのんびり歩いて約30分で展望所に到着します。最近では国内でも人気の観光スポットとなっており、現地の人たちも多く訪れています。

シャルガン8

シャルガン8、モクラゴーラ、セルビア、バルカン シャルガン8(イメージ)

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボとセルビアの首都ベオグラード間の444kmをかつて結んでいた路線がありました。この路線は、1974年に廃線となり線路も撤去されましたが、両国の国境近くに1999年に修復、一部線路を敷き直し、観光用に運航が再開されました。乗車区間は高低差239m、走行距離15.4kmを狭軌760mm線路(単線)を1987年製ディーゼル機関車の牽引で走り、途中山道を登る工夫として線路を上から見ると8の字に見えるように敷いたことから「シャルガン8」と呼ばれます。乗車中の車窓からは、厳しく険しい山々や渓谷の姿を望むことができます。この路線は、2005年に日本でも公開されたエミール・クストリッツァ監督の映画「ライフ・イズ・ミラクル」の撮影にも使われ、近年注目を集めている観光スポットの一つ。

セルビアにある古代ローマ遺跡

ザイエチャル国立博物館、ザイエチャル、セルビア ガレリウスの宮殿より発掘されたモザイク

紀元前からオリエント世界と西側の世界を結ぶ街道がバルカン半島を通っており、現在のセルビア国内にもその街道が通り、街道沿いに建設、発展した街がありました。トラキア人、ケルト人も居住地をかまえ、紀元前1世紀には古代ローマ人が支配。実はセルビアは数名の古代ローマ皇帝の出生地でもあり、セルビア南部の都市ニシュ周辺では、コンスタンティヌス1世(コンスタンティノープルを創建)、ユスティヌス1世(イスタンブールのアヤソフィア聖堂を造らせる)が生まれました。最近でもセルビア国内で新しい古代ローマ時代の遺跡が発掘されたニュースが流れるなど、まだ未発掘な古代ローマの宝が眠っており、今後の発掘にも注目です。

ボスニア・ヘルツェゴビナ<ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国>

首都サラエボ

  • トンネル博物館のトンネル内部、サラエボ、ボスニア・ヘルツェゴビナ

    紛争時、実際に使用したトンネル(トンネル博物館)

  • サラエボ旧市街、ボスニア・ヘルツェゴビナ、バルカン

    サラエボ旧市街

サラエボという街の名前は、もしかすると国名よりも知られているのではないでしょうか。第一次世界大戦勃発のきっかけとなったオーストリア皇太子が暗殺されたサラエボ事件と、1992年3月の独立宣言により勃発した内戦時1992年4月から1996年2月末まで続いた長期の都市包囲となったサラエボ包囲で世界史やニュースで見聞きしたことがあるかと思います。町の歴史は、オスマン・トルコ帝国、オーストリア・ハプスブルク帝国と様々な民族・勢力の支配を受け、歴史の波に翻弄されてきました。特に旧市街を歩けば、オーストリア風の建物と教会とイスラム風の職人街とモスクが隣接しあっています。異文化の共存を肌で感じ、近代おこった内戦の悲惨さを考えさせられる貴重な街、それがサラエボなのです。
★郊外にあり、個人では訪れにくいサラエボ包囲当時の様子がわかるトンネル博物館へご案内します。
★昼食には、ボスニア料理のチェバプチチをお試し下さい。
 

モスタル

スタリ・モスト、石橋、モスタル、ボスニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、バルカン スタリ・モスト

オスマン・トルコ帝国時代に建設された古都モスタル。周囲は小山に囲まれ、旧市街には豊富な水が流れるネレトヴァ川を中心部で見ることが出来ます。このような美しい自然に囲まれイスラムの雰囲気が漂う歴史ある旧市街も1992年の独立宣言で勃発した内戦に巻き込まれました。
16世紀に建設されたネレトヴァ川に架かる石橋スタリ・モストは、内戦時の1993年にミサイル攻撃により破壊されました。橋の袂には破壊された1993年の出来事を忘れぬよう、破壊された橋の石の欠片に「DON’T FORGET '93 」と書かれ置かれています。2004年に、この町の象徴である石橋が再建され、2005年にはスタリ・モスト含むモスタル旧市街は世界遺産に認定され、多くの傷を受けたモスタルの町に活気が戻ってきました。オスマン・トルコ時代の石畳の通り沿いには昔ながらの銅職人手作りの製品が並ぶ店やトルコ菓子やドライフルーツを売る店、そして観光客がたくさん訪れている光景からは、近年に内戦が起こっていたとは想像できませんが、ふと見た民家の壁に生々しく残る銃弾の跡が、内戦があった事実を伝えています。

小説「ドリナの橋」の舞台へ

メフメット・パシャ・ソコロヴィッチ橋、ドリナの橋、ヴィシェグラード、ボスニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、バルカン メフメット・パシャ・ソコロヴィッチ橋(ドリナの橋)

ユーゴスラビアのノーベル文学賞受賞作家イヴォ・アンドリッチは、ドリナ川に架かるメフメット・パシャ・ソコロヴィッチ橋のあるヴィシェグラードで幼少期を過ごしました。彼の作品のひとつでヴィシェグラードを舞台にした小説「ドリナの橋」は、400年もの歴史を描いた24章から成る小説で、帝国の盛衰と共に民族と宗教が交錯する壮大な物語がノーベル文学賞受賞の対象ともなりました。
橋自体も注目すべきもので、オスマン帝国最盛期を支えた大宰相ソコルル・メフメト・パシャの命により、宮廷建築家ミマール・スィナンが16世紀末に建造。当時の建築水準の高さから2007年世界遺産に登録されました。

モンテネグロ

美しい港町コトル

コトル、時計塔、モンテネグロ、アドリア海、クルーズ、バルカン コトルの旧市街

世界の美しい湾ベスト25の一つにも選ばれたコトル湾。アドリア海に続く深い入り江と岩山が織り成す自然美のなかにある中世時代の町が更に趣きある風景を作り出しています。背後に山が聳え、天然の要塞に守られたコトルは、ヴェネチアの支配下で海上交易の重要な港として繁栄を極めました。厚みのある城門をくぐり、ヴェネツィア時代の面影を色濃く残す旧市街に入ると、正教会とカトリック教会が共存し、迷路のような路地に貴族や豪商の立派な屋敷並び、中世の時代へとタイムスリップしたような気分を味わえます。

聖地オストログ修道院

  • オストログ修道院(遠望)、モンテネグロ

    崖に張り付くように建つオストログ修道院

  • オストログ修道院、モンテネグロ

    オストログ修道院

17世紀半ば、自然にできた洞窟で隠遁生活を送る隠遁者ヴァリシエを慕う人々が集まり、ここに修道院が建立。崖に埋め込まれたかのように建つ上の修道院は、聖ヴァリシエが息を引き取った場所でもあり、遺骸が安置されているため聖域であり、宗教宗派問わずに訪れるすべての人々を受け入れ、病を癒す奇跡をもたらすヴァリシエの聖遺物へ世界中からの人々が加護を求め訪れます。標高約800mの場所にあり、上の修道院から眼下にみえるビエロパブリッチ平野も非常に美しい光景です。

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