アルバニア共和国、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国、コソボ共和国

旧ユーゴスラビアの西バルカン諸国 PART②

  • “千の窓の町”ベラットの街並み

  • トーチカ(防御陣地)

  • アレクサンダー大王騎馬像

  • 聖ヨハネ・カネヨ教会とオフリド湖

  • ペーチ総主教修道院

 

 

バルカン半島における約2000年の歴史は、紀元前後にギリシア人、ケルト人、古代ローマ人、そして民族移動でやってきたスラヴ人の居住、中世においてはオスマントルコ帝国、ハプスブルク・オーストリア帝国、海洋貿易国ベネチアの侵攻と支配、そして近年におこった内戦による分断と独立がありました。20世紀半ばに誕生した旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を表現する「7つの隣国、6つの共和国、5(6)つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの言語」という言葉があるように、非常に複雑で簡易には表現ができない地域。これらの影響や複雑さが、西暦2000年の現代においても街並みや文化、人々の習慣として残る国々です。複雑な歴史を経てきたからこその歴史の重さを感じさせられる光景が溢れています。

アルバニア共和国

城塞都市ベラット

ベラット、マンガレウム地区、アルバニア、バルカン “千の窓の町”ベラットの街並み

紀元前5世紀、アレキサンダー大王の武将アンティパトスが都市を建設したことが始まり。紀元前から現在に至るまで人々が住み続けています。聖母マリア修道院だった建物を使ったオノフリ・イコン博物館には、16世紀のイコンや6,9世紀の貴重な写本などが展示されています。
ベラットは標高2700mのトモリ山の麓にあり、街の下から見上げる“千の窓の町”と呼ばれるベラット全景は、家が積み木のように重なっているようにも見え、何とも不思議な気分になります。

ブトリント遺跡

ブトリント遺跡(遠望)、アルバニア、ヨーロッパ ブトリント遺跡

古代ローマの詩人ヴェルギリウスの叙事詩『アエネイス』にブトリントの名前は登場します。紀元前8世紀頃には人々が住み始め、紀元前4世紀にはギリシアの城塞都市として整いました。古代ローマ人は紀元前167年に支配下に置き、ギリシア侵攻の基地としました。遺跡には半円形劇場、ローマ浴場、共同水場などをご覧いただけます。

アルバニアの鎖国時代とトーチカ

トーチカ、アルバニア、アポロニアにて、バルカン トーチカ(防御陣地)

共産主義時代のホッジャ政権の下、長いことアルバニアは鎖国政策がしかれていたことをご存知でしょうか。1970年代、それまで友好関係を保っていた中国とも断交し、その後1990年に入るまで鎖国政策が続きました。鎖国時代を象徴するものは、何といっても“トーチカ”です。海外から敵が攻めてきた際に、いつでも対応できるようにと備えホッジャが国民に造らせた頑丈な防御壕で、国内に30~70万個?!以上も残されているそうです。結局、海外から敵が来ることはなく、反対勢力に怯えきったホッジャの妄想によって造られた無用の産物となってしまいました。しかし今では、点々と並ぶトーチカはアルバニアを象徴する光景となっています。
 

マケドニア旧ユーゴスラビア共和国

首都スコピエ

アレクサンダー大王騎馬像、スコピエ、マケドニア、ヨーロッパ アレクサンダー大王騎馬像

マケドニアの首都スコピエは「マザーテレサの故郷」としても非常に有名で、アルバニア人でキリスト教徒の家庭に生まれたテレサは、幼少時代をここで過ごし、修道女になるために旅立っていきました。街の歴史としては紀元前4000年ごろから人々が住み始めるという古い歴史を持ちますが、近年では1963年7月26日に大震災がありました。マグニチュード7.9の地震で、町の建物の85%が倒壊し、かつてオリエント急行の停車駅でもあった旧スコピエ駅の時計は地震がおこった午前5時17分で止まったままとなっています(現在は博物館として残されています)。この町の復興計画の設計を担当したのが、国連のコンペで選ばれた日本の建築家・丹下健三でした。現在のスコピエでは、彼が設計した扇状の街並みと建物が今も残っています。

美しいリゾートの街オフリド

聖ヨハネ・カネヨ教会、オフリド、オフリド湖、マケドニア、バルカン 聖ヨハネ・カネヨ教会とオフリド湖

バルカン半島でも最も美しいリゾートの一つオフリド。マケドニアで一番の観光都市。紀元前1世紀にはエグナティア街道の宿場町として栄えました。9世紀からはマケドニアでのキリスト教伝道の拠点として神学校、修道院が整備され、バルカン半島最古の大学も建てられました。10世紀頃から第一次ブルガリア帝国の首都になり、中世には365の教会が建てられ「オフリドのエルサレム」と呼ばれました。1979年、ユネスコの世界遺産に登録されました。

コソボ共和国

自治州から独立国へ

ニューボーンモニュメント、コソボ、バルカン、ヨーロッパ ニューボーン・モニュメント(塗装はしばしば塗り替えられます)

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国時代はセルビア共和国の一部として大幅な自治権をもつ自治州でした。しかし、アルバニア系住民が多く占めるコソボ自治州内でセルビア系住民と衝突し、武力闘争へと発展。NATOの介入などにより1999年内戦が終了、2005年にコソボ共和国として独立した新しい欧州の国です(※一部の国は、コソボの独立を認めていません)。

プリシュティナ

街のカフェ、プリシュティナ、コソボ、ヨーロッパ プリシュティナのカフェ

コソボ共和国の首都プリシュティナは、近代的な建物と15~18世紀の建築物が密集する旧市街が混載する街です。道幅の狭い旧市街を歩いていくとオスマン・トルコ時代建造のモスクや傾いた古い木造民家、繁栄した都市のシンボルとして建てられた時計塔などを目にします。対する街の中心では、歩行者天国となるメインストリート沿いにはお洒落なカフェがありお洒落なファッションに身を包んで楽しそうに語らう若者の姿を目にします。紛争時には戦場となりましたが、その紛争があったことを思わせない平穏な光景がいまはあります。紛争による破壊を免れた古い建物もちらほらとみえ、新旧の建物がモザイクのように建ち並んでいます。

コソボにあるセルビア正教の修道院

ペーチ総主教修道院、コソボ、バルカン ペーチ総主教修道院

かつてセルビア共和国の一部であったコソボの地には、セルビア正教徒にとっての聖地ともいえる修道院や大切な教会があります。14世紀、中世セルビア王国国王により建立された数々の修道院と教会の内部を埋め尽くすフレスコ画はまるで中世壁画の美術館のようです。また“セルビア正教のエルサレム”といわれるペーチ総主教修道院は総主教座が置かれたセルビア正教徒の方々にとって大切な場所でもあります。現在、修道女さんたちが敷地内にお住まいになり、KFOR(コソボ治安維持部隊)が修道院を守っています。

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