平安時代、弘法大師は唐にわたり、真言密教の教えを受け、帰国してから10年後の816年に国の鎮護と人々の幸福を祈り、僧侶を育成するために高野山に修禅道場を開きました。

高野山とは

天空の仏都・高野山

紀伊半島には、北東から南西にかけて半島を横断する紀伊山地があります。紀伊山地の西側、和歌山県北部に位置する標高800mほどの盆地上の平地地域のことを「高野山」または「総本山金剛峯寺」といい、高野山という名称の山や峰はありません。高野山は、約1000m級の8つの峰に囲まれており、その構造がまるで胎蔵曼荼羅の中心に描かれる中台八葉院(曼荼羅の中心に描かれる蓮の花の柱頭に座す大日如来のまわりに四如来と四菩薩が八蓮弁に配されている)のような地理的関係からも、聖地となるべく選ばれた場所だったと思わずにはいられません。

高野山・真言宗総本山金剛峯寺への行き方は?

1)空路(飛行機)の場合、大阪国際空港(伊丹空港)または関西国際空港まで移動した後、各空港から電車又は空港バスで、なんばまで移動。なんば駅から南海高野線にて極楽橋駅まで移動。極楽橋駅から高野山ケーブルカーにて高野山駅へ。その先は徒歩又は南海りんかんバス(奥の院行または大門行)を利用。
*関西国際空港からは、南海空港線(南海本線)で天下茶屋駅まで移動し、南海高野線に乗り換え、極楽橋へも移動できます。
2)電車の場合、新幹線で新大阪駅に到着後、なんばまで移動。なんば駅から南海高野線にて極楽橋駅まで移動し、高野山ケーブルカーにて高野山駅へ。その先は徒歩又は南海りんかんバス(奥の院行または大門行)を利用。
*和歌山駅からの場合は、JR和歌山線にて橋本駅まで移動。橋本駅から南海高野線で極楽橋駅まで移動。
*京都駅からの場合は、JR線で大阪駅まで移動し、JR大阪環状線にて新今宮駅へ移動。新今宮駅から南海高野線で極楽橋駅まで移動。

高野山最大の聖地「奥の院」

高野山奥の院の伊達政宗の墓(供養塔)

伊達政宗の墓(供養塔)

高野山奥の院の秋の参道(イメージ)

高野山奥の院の秋の参道(イメージ)

高野山を開いた真言宗の開祖・弘法大師(空海)が眠る御廟が奥之院最奥にあります。一の橋から約2kmの参道を歩いて奥之院を目指しましょう。 参道沿いには、20万基を超える墓碑、供養塔、慰霊碑などが並んでいます。なかには織田信長、武田信玄、伊達政宗、明智光秀など、名だたる戦国武将たちの墓もあります。参道を歩き切った最奥の高野山最大の聖地である弘法大師御廟では、いまでも御大師様が人々の平和を祈り続けていらっしゃいます。

高野山第二の聖地「壇上伽藍」

壇上伽藍の根本大塔
壇上伽藍の根本大塔

816年(平安時代)、嵯峨天皇から真言密教の修験道場建立の勅許と高野山の土地を賜り、弘法大師自らが構想、着手し、819年に高野山で最初の堂塔が建てられた場所。高野山の中心を「壇上」といい、敷地内の堂塔の配置により、曼荼羅を具現化しているので壇上伽藍または密教伽藍ともいわれます。敷地内にたくさんある堂塔の中でも、是非訪れたい見どころは、『根本大塔』。堂内は、立体曼荼羅の世界が広がっています。また『金堂』は、弘法大師自ら着手された講堂で、のちに高野山金剛峰寺の総本堂となりました。

高野山真言宗の「総本山金剛峯寺」と「金剛峯寺」

高野山真言宗総本山・金剛峯寺
高野山真言宗総本山・金剛峯寺

高野山の境内とは、高野山全体=「総本山金剛峯寺」を指します。そのことを“一山境内地”といい、高野山全体がお寺=大寺(だいじ)、高野山内に点在する117の寺を塔頭寺院=子寺となります。117の寺のひとつ「金剛峯寺」は、塔頭寺院をまとめる中心寺院であり、「金剛峯寺」という一寺の名称なったのは明治2年(1869年)からのことです。狩野派の襖絵や国内最大の石庭があり、内部もみどころがありますので、是非立ち寄りたい寺院のひとつです。

高野山観光でおすすめの宿泊

高野山にきたら泊まってみたい!宿坊

福智院

福智院

福智院の精進料理(イメージ)

福智院の精進料理(イメージ)

高野山内にある117の寺のうち、52の寺が宿坊を兼ねています。宿坊では、動物性の食材を使用しないけれども、栄養バランスがとれ、季節や色彩の工夫を取り入れた精進料理を食すことができます。ユーラシアの旅(ツアー)では、奥の院口に近い立地の『赤松院』(ツアーコードJWWK)または福智院(ツアーコードJWWY)の宿坊に泊まり、ご希望の方は、朝の勤行(読経などのお勤め)を体験していただくこともできます。

九度山とは

戦国武将・真田親子ゆかりの地としての九度山

九度山の慈尊院
九度山の慈尊院

九度山とは、和歌山県の北東部、高野山と山麓北側に流れる紀の川との間に広がる地域。ここは高野山に参詣する7つの道(高野七口)のひとつ<町石道>の入り口があり、そこには女人禁制の高野山に立ち入ることができなかった弘法大師(空海)の母が住んでいた「慈尊院」があります。慈尊院から、高野山(総本山金剛峯寺)の大門、そして根本大塔まで約20kmの道(高野山町石道)沿いには、弘法大師が一町(約109m)ごとに卒塔婆を立てました。また、慈尊院の近くには、弘法大師を高野山に導き、高野山の地主の神様(鎮守社)として狩場明神と丹生明神を祀る「丹生都比売(にうつひめ)神社」と同じく鎮守社である「丹生官省符(にゅうかんしょうふ)神社」があります。これら3つの弘法大師ゆかりの神社と高野山の表参道・町石道は、世界遺産に指定されています。

戦国武将・真田親子ゆかりの地としての九度山

『戦国武将・真田親子』、と聞くと長野県(信濃国)を思い浮かべますが、関ヶ原の戦いで西軍(反徳川勢力)についていた真田親子(父・正幸と幸村)は、戦いのあと、家康により蟄居を命じられ、高野山の蓮華定院に滞在。その後、高野山をおりて九度山に移り住みました。その移り住んだ屋敷跡に、「真田庵」(善名称院)が建てられ、真田親子ゆかりの地として、多くの人が訪れます。

03-3265-1691

営業時間 10:00~17:00(土日祝除く)

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