【祝!世界遺産登録!】北海道・北東北の縄文遺跡群・旅行・観光特集

祝!世界遺産登録!約1万年前の日本の先史時代へタイムスリップ

  • 三内丸山遺跡(弊社添乗員撮影)

  • 亀ヶ岡石器時代遺跡/青森

  • 国宝「合掌土偶」(是川縄文館/添乗員撮影)

  • 竪穴式住居跡

  • 日時計を思わせる石組(弊社添乗員撮影)

 

 

2021年7月、世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」。
氷河期後期、約1万5千万年前の世界最古レベルの人の営みを証明する遺跡群が点在する北海道・北東北地域。先史時代の遺跡の登録としては、国内初となります。調査によっては人類史の常識が変わるかもしれないかもしれない、そんな可能性を秘めたロマンある遺跡の魅力をご紹介します。

世界遺産に登録!北海道・北東北の縄文遺跡群とは

北海道南部、青森県、岩手県及び秋田県にある、集落、墓地、祭事・儀式の場の跡など1万5千年~2400年前の17の縄文遺跡で構成されています。
北海道に6カ所、青森県に8カ所、岩手県に1カ所、秋田県に2カ所の構成遺産が点在しています。

 

なぜ、北海道・北東北の縄文遺跡が世界遺産に?

国指定文化財・三内丸山遺跡/青森 JTHJ 三内丸山遺跡(弊社添乗員撮影)

日本には約9万7千ヶ所の縄文遺跡がありますが、縄文遺跡を代表する遺跡は北海道・北東北に密集しており、他地域に比べ精密な発掘調査が行われ、遺跡の内容が明らかになっているものが多く、北海道・北東北の縄文遺跡は一つの地域で1万年もの縄文時代の歴史一連の流れが証明できる遺跡群という点から世界的に評価されました。北海道南部から北東北は津軽海峡で隔たれているものの、同じ模様の土器や埋葬方法、土偶、道具の種類などが共通しており、強い一体性を持った地域文化が縄文時代に形成されていたとされ、縄文時代を代表する文化圏の一つです。東日本では、冬に落葉する広葉樹林が広がっていたため、照葉樹林が中心の西日本と比べると食料に恵まれ、人口が増え、集落も拡大し、豪華な土器を生んだ亀ヶ岡遺跡や国内最大規模の縄文遺跡、三内丸山遺跡など、世界的にも特異な文化が栄えたとされています。
 

ここがすごい縄文遺跡!世界で注目される理由

1.狩猟しながら定住していた人々

三内丸山遺跡・再現模型(特集ページ用) 狩猟しながらも定住生活を送っていた縄文人(三内丸山遺跡縄文時遊館)

石器時代は、狩猟のために移動しながら生活していた人類でしたが、縄文時代に入ると人々は定住し、ムラが形成されました。ユーラシア大陸など世界の他地域では、農耕・牧畜と同時に定住が始まったとされていますが、それ以前の狩猟・採集・漁労の段階で定住が始まったことが縄文遺跡の発掘で明らかになっています。これが縄文文化の特徴であり、今回世界遺産に登録された重要な要素でもあります。
農耕以前の世界遺産登録はフランスのラスコーの洞窟壁画などが代表的ですが、世界的を見ても数が少なく貴重な史跡の一つです。

2.自然と共存しながら約1万年も続いた超長期安定社会

  • 三内丸山遺跡・再現模型(特集ページ用)

    集落跡の再現(三内丸山遺跡)

  • 【特集用】縄文人狩猟生活イメージ(新潟県立歴史博物館)

    季節によって捕るものを変え安定的な食糧確保が行われていた

  • 【特集用】縄文人の漁労イメージ(新潟県立歴史博物館)

    沿岸地域では漁労が主に行われていた

農耕に進んでいた世界の他地域とは違って、狩猟・採集・漁労の生活を続けることで、
自然の秩序を守り共存し1万年もの長期に及ぶ安定的な社会を築いた文化は人類史上でも稀なことなのです。また、狩猟のみので生活で長らく生活が保たれたのは、豊かな自然の基盤があってこそであり、現在の白神山地を始めとする北海道・東北地方の豊かな自然からもわかります。

3.縄文人の必需品・土器と豪華な装飾品や道具類

  • 三内丸山遺跡資料館(特集ページ用)

    多様な土器(三内丸山遺跡縄文時遊館)

  • 三内丸山遺跡資料館・ヒスイ装身具(特集ページ用)

    加工されたヒスイ(三内丸山遺跡縄文時遊館)

  • 三内丸山遺跡資料館・漆塗り(特集ページ用)

    漆塗り製品(三内丸山遺跡縄文時遊館)

縄文人が発明した縄文土器は世界最古の部類の土器とされています。時代の名称の縄文も縄の模様のついた土器から取ったものですし、縄文時代の6期の時代区分も土器の変遷に基づいて区分されているぐらいです。縄文文化を語るうえで重要なものですし、縄文人にとっても生活になくてはならないものでした。土器には煮ることに適した深い鍋のような調理用、できた料理を盛る浅い土器、注水用の急須型土器、祭事用の棺桶まで土器で造っていたということですから驚きです。また縄文土器は芸術作品なのではないかというほど豪華な装飾が施されています。また土器以外にも、世界最古の漆製品が垣ノ島遺跡で発掘されていたり、高度なヒスイの加工技術、土偶など縄文時代の生活や縄文人の信仰が分かるような証拠となるものも多々発見されています。用途によって様々道具を使い分けていた縄文人、我々が思うよりかなり進んだ技術を持っていたかもしれません。今後、研究が進み、古代の人々の生活の常識が塗り替えられるかもしれません。
 

縄文遺跡はすべて同じではない!特徴ある遺跡の数々

三内丸山遺跡(青森)

  • 堀立柱建物(三内丸山遺跡)JTHJ

    堀立柱建物(弊社添乗員撮影)

  • 三内丸山遺跡(特集ページ用)

    発掘された大型掘立柱建物跡(弊社添乗員撮影)

5900年~4200年前の縄文中期の集落跡で、大きさ、知名度ともに日本最大規模の縄文遺跡です。江戸時代に発見され長年の発掘調査の結果、縄文人の通年の生活様式などを示す発見がありました。竪穴式住居、墓、盛土、捨て場、道路まで様々なものが出土しています。柱の跡から、大型堀立柱建物、長さ10m以上の大型竪穴式住居などが再現されており有名ですが、出土品も非常に重要なものが見つかっています。縄文ポシェットと呼ばれる木の皮を編んで作った鞄のようなものがほぼ完全な形で出土したのはここだけです。また、ヒスイや琥珀など交易が行われたことを示すもの、2000点もの土器も出土しており、出土品は日本最多となり、縄文遺跡のメッカともいえる場所です。現在でも発掘作業が行われています。

三内丸山遺跡の特集記事はこちら

 

亀岡石器時代遺跡(青森)

亀ヶ岡石器時代遺跡/青森 JTHJ 亀ヶ岡石器時代遺跡/青森

3000年~2400年前の縄文時代晩期の遺跡といわれています。この時代では祭儀の遺跡が多く発掘され縄文人の先祖崇拝などの精神性が顕著に現れてくる時代になります。一時、宇宙人を模したものだとか話題になった、縄文時代の土偶を代表する遮光器土偶はここから出土しました。ここは共同墓地跡とされており、副葬品としての土器、ヒスイ製品、漆塗り製品などが発見されています。縄文人の高い技術を証明する出土品も見どころの一つです。また、亀岡式土器とも名づけられるほど、シンプルながらも美しい造形をした土器も発掘されています。

是川石器時代遺跡(青森)

国宝「合掌土偶」(是川縄文館/添乗員撮影) 国宝「合掌土偶」(是川縄文館/添乗員撮影)

縄文時代晩期の亀ヶ岡文化を中心とする「中居遺跡」、前期・中期の「一王寺遺跡」、中期の「堀田遺跡」の3つを総称して、「是川石器時代遺跡」と呼ばれています。中居遺跡は縄文後期の美術品のような精巧な出土品が多く有名です。隣接の是川縄文館では、是川石器時代遺跡の出土品の展示や近隣の風張遺跡からの国宝「合掌土偶」を見ることができ、縄文アートを感じられる場所となっています。

大船遺跡(北海道)

函館・大船遺跡(特集ページ用) 竪穴式住居跡

5500年~4000年前の縄文時代中期の大規模集落跡です。100棟を超える竪穴式住居と盛土が出土しています。太平洋側に面しているため、クジラ、オットセイ、マグロなどの海洋生物の骨や木の実、果物なども漁労しながらも森林を使用していたとされていて、沿岸地域で定住していた縄文人の生活を示す重要な遺跡です。また、盛土からは、祭儀などに使われていた土器、石器も発掘されたため、祭儀を行っていたことを示す遺跡でもあります。

垣ノ島遺跡(北海道)

【特集用】垣の島遺跡(函館市縄文文化センター) 足形付土板(函館市縄文文化交流センター)

約9000年前~約3000年前の縄文早期~後期の集落跡です。縄文早期の集落跡は非常に貴重で竪穴式住居の建設が始まったのも時期だといわれています。それまでは土を掘らずに土の上に柱を立てテントのような形の住居だったそうです。また、祭祀の場と考えられている日本最大級の盛り土遺構が見つかっており、非常に貴重な出土品も多数出土しています。世界最古の漆製品といわれている約9000年前の漆の副葬品(肩当て)、子供の足形を取った粘土板も代表的な出土品です。子供を弔うためのものだとされており、当時の縄文人の精神性が分かる興味深いものです。
 

御所野遺跡(岩手県)

御所野遺跡(特集ページ用) 御所野遺跡の集落跡

4500年~4000年前の縄文時代中期の拠点集落跡です。住居跡、墓、祭儀の場などが一か所に集まっている遺跡で、縄文後期になると大湯環状列石などを始めとする祭儀の場は住居と分かれて作られるようになるのですが、ここでは全てが一緒にあり、真ん中に祭儀の場跡その周りに住居跡とという構造になっており、縄文社会の流れが示されている遺跡の一つです。

大湯環状列石(秋田県)

  • 大湯環状列石(JTHJ)

    大湯環状列石(弊社添乗員撮影)

  • 【特集用】日時計のような大湯環状列石(JTHJ)

    日時計を思わせる石組(弊社添乗員撮影)

  • 大湯ストーンサークル館JTHJ

    出土した土器の数々(大湯ストーンサークル館)

4000年~3500年前の縄文時代後期のものです。イギリスのストーンヘンジなど世界には巨石文化がありますが、縄文時代にもそれがあったことを示す証拠である重要な遺跡となります。ここは道路をはさんで2つのストーンサークル(環状列石)があります。直径52mの万座遺跡と直径44mの野中堂遺跡です。それぞれ、日時計を思わせる石組ですが、ハッキリとした用途は分かっていません。夏至や冬至などを意識している構造から自然を大切に生活していた縄文人の知的な部分が分かる遺跡なのではないかといわれています。祭儀の際の土器などがこの石組の周りから出土していることから、祭儀が行われたことは明らかになっています。

伊勢堂岱遺跡(秋田)

  • 【特集用】伊勢堂岱遺跡縄文館(上空写真)

    伊勢堂岱遺跡(縄文館映像より)

  • 【特集用】伊勢堂岱遺跡縄文館

    完全に修復された板状土偶(伊勢堂岱遺跡縄文館)

4000~3700年前の縄文後期の環状列石です。4つの環状列石が隣接しています。4つもの環状列石が隣接しているのは、他の環状列石では見られない珍しいものです。縄文後期には住居と、祭祀場と住居が分けられました。この遺跡からは周辺から土器や土偶など祭祀道具が出土し、環状列石下からは人骨が発見されており、共同墓地と共同祭祀場としての機能があったと考えられています。
 

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